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タイトル 日 時
七 闇に潜みしもの(5)
 確保した身柄の逃走事故は、走っている護送車両が停止したとき、護送車両から取調室に連行しようとしたとき、さらには取調べ中にも起こっているが、それらは特別な事例であって、もっとも頻繁に起こっているのは摘発場所においての逃走だ。  そんな経験を何度も味わっている九鬼は、いつも部下たちにくどいくらいに言い聞かせていた。 『いいか、人間の注意力なんてものを信頼するな。それぞれがお互いに補完し合うんだ。  ほっと一息ついたとき、他の誰かも見ていると思ったとき、こんなに大人しいのだからと思ったときにこ... ...続きを見る

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2008/08/14 16:09
七 闇に潜みしもの(4)
 店内からの護送の手際については、漫然と付いて行くだけの警備官がいたことを除けば、流石に大林が手配しただけあって、配置の人数や人選なども取り敢えずは合格だ。  摘発に当たって、現場で身柄を選別確保することも、着手してから騒然とする店内を制圧するまでに、迅速さと正確さを要求されるが、実際に一番危険な状態と言えるのは、確保した身柄を護送するときである。  特に店内から外に連れ出すときは、静の状態からから動の状態に移ることになり、この様な状態のときにこそ細心の注意を払っておかなければ、思いもよらな... ...続きを見る

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2008/08/11 14:36
七 闇に潜みしもの(3)
「うまくいったようだな」  男は下りてきた女たちの顔をゆっくりと確かめると、そう言って階段を上り始めた。  ゆっくりと階段を上がると、灯りの消えた店に入ると、中にいた女たちを引き連れて、再び階段を下りはじめる。 「俺の言うとおりにすれば、大丈夫だ。まあ、何と言っても奴らの遣り口を、一番よく知っているんだからな」  誰に言うとも無くそう呟くと、胸元の小さな袋を握り締めた。  そうすることで、男の不敵な顔が急に柔和になるのを、見ている者はいなかったが、その瞬間だけ男は真実の姿を曝け出してい... ...続きを見る

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2008/07/30 14:11
七 闇に潜みしもの(2)
 先頭の男が誘導するように、女たちが数珠繋ぎになって階段を下りてくる。最後尾にも男が一人、辺りを油断無く見回しながら、階段をゆっくりと下りてくる。 「車はどこだ」 「ここは狭いので、大通りに止めてあります」 「周囲に注意して、警察官と連携をとって、護送しろよ」 「はい、わかってます」  女たちを護送する集団が、大通りに出てしまうと、辺りは又もとの静寂を取り戻した。 ...続きを見る

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2008/07/24 14:31
七 闇に潜みしもの(1)
 照明の薄暗い階段の下に、男はじっと身じろぎもせずに周囲の様子を伺っていた。  誰もその存在に気付いてはいないのに、男は呼吸音を極力抑えて、じっと同じ姿勢を続けている。  それでも落ち着かないのか、胸元に手を当てて、何かを握り締めると、目を瞑って唾を飲み込んだ。 「まだ、出てこないのか。まさかガセじゃないだろうな」  男は携帯電話を取り出すと、着信履歴を確認する。 「八時半に店に入ったと言っているから、もうかれこれ一時間近くになるじゃないか、まだ終わらないのか」  男が舌打ちをしたそ... ...続きを見る

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2008/07/15 14:47
六 内偵調査(10)
 帳場にいる警備官は、質問書の内容を入国管理局のデータベースに照会を掛けて、時に補足したり、時には修正したりして該当するデータを引き出す作業に取り掛かっている。 「大林はまだ戻らないのか」  入管側の総指揮官である大戸課長補佐が、遅々として進まない人定作業に苛立っているのか、大林の姿がそこにないことが悪いのだと言わんばかりに、周りの者に大林警守長の所在を確認するように、先ほどから何度も指示していた。  そこに大林が、捕まえた女たちを誘導して会議室に入ってきた。 「遅いじゃないか、大林君ら... ...続きを見る

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2008/05/03 21:38
六 内偵調査(9)
 店舗ごとに色分けされたプレートを胸につけたホステスたちが、入国警備官を相手に何事か大声で言い争っていた。  身分を証明するものを何一つ持っていない者と、不法入国や不法残留している者、そして観光を目的として上陸許可された者などの、働いてはいけない者たちが混在した状況の中で、入国警備官たちはそれぞれの違反事実を一つ一つ明らかにする作業に取り掛かっていた。  旅券や外国人登録証明書によって、身分事項と違反事実が特定できる者は徐々に振り分けられて行き、何も持っていない女たちだけが質問書と名付けてい... ...続きを見る

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2008/04/30 13:56
六 内偵調査(8)
 集合場所の警察署が近いこともあって、九鬼たちは徒歩で摘発先にやってきていた。車両を回して搬送するにしても、四人なら一回で済むが、十二人となると三回に分けて搬送しなければならない。九鬼の決断は早かった。 「いや、八人は身分事項を控えるだけでいい。不明の四人を乗せる車両を要請してくれ」  大林にそう命じた九鬼は、ひとり店の入り口に向かうと、そっと階段を降りていった。 「はい、そうです。一斑の摘発先です。身柄四名、違反事実等は不明です。署まで搬送したいので、ワゴン車を一台回してください」  ... ...続きを見る

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2008/03/25 10:17
六 内偵調査(7)
「東京入国管理局です」  薄暗い店舗の中に、九鬼の低い声が轟いていた。どかどかと一斉に立ち入ってきた入国警備官を見て、それまで嬌声が絶えなかった店内に、奇妙な静寂が訪れた。  このように一気に店内に侵入し、動く間もなく大声で制圧するのが、九鬼のいつものやり方だった。  店内に散った入国警備官は、前もって担当を決めていたボックス席のホステスたちを、一箇所に集め始める。  各自が一人一人の身分事項を確認しては、違反が疑われる者と違反を問えない者とに振り分けて、それぞれまとめて座らせる。 「... ...続きを見る

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2008/03/12 15:12
六 内偵調査(6)
「大林さん、どうして俺があの人と一緒に行くことになったんですか」  子供のように尖らせた口で、小山は初めての内偵調査の相方に不満を漏らしていた。 「どうしてって、畏れ多くも課長補佐で在らせられる」 「だからどうして俺には補佐が付いてくるんですか。俺が補佐に嫌われているのは、大林さんも知っているじゃないですか」  『だからなんだけどなあ』という言葉を胸にしまったまま、大林は九鬼に言われたままに答えることにした。 「課長補佐と一緒に行くと言う奴が、どこにもいないんだよ。お前ならきっと大戸さ... ...続きを見る

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2008/02/27 08:00
恭賀新年
 もともと年賀状を出さなかった俺だが、今年はついに一枚も用意しなかった。 ...続きを見る

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2008/01/01 09:26
謎が解けました!!
 アマゾンから12月12日発売予定とのメールが来ましたが、今日、出版社から届いた宣伝用のチラシによると、書店での予約注文の受付が12月20日から、アマゾン等のオンライン書店の受付は1月初旬からということでした。 ...続きを見る

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2007/12/12 11:21
聞いてないよ、12月12日発売だなんて!
 アマゾンからメールが来た。「空白の記憶」が12月12日に発売されるから、予約するなら今だって。  出版社からそんなこと聞いてないよ、どうなってるの。早速問い合わせをしてみないと。  でも、アマゾンで予約注文ができるそうですから、取り敢えずブログに載せておきました。  右下の「空白の記憶」をクリックしてもらえれば、予約購入ができます。  では、よろしくお願いします。   ...続きを見る

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2007/12/10 16:44
お待たせしました。「空白の記憶」が出来上がりました。
 これが新年早々に発売予定の『空白の記憶』です。奥付きには1月15日発行となっていますので、店頭に並ぶのはその前後かと思います。  販売価格は1,700円(税別)。書店でお求めになれますし、以前お知らせした浦和駅西口を県庁方面に向かった右手にある(自民党埼玉県連の向かい)喫茶店「サントス」にも置かせてもらうことになりそうです。  発売と同時に売り切れになって、すぐさま増刷になることを夢見ています。(笑)  では、『空白の記憶』をよろしくお願いします。 ...続きを見る

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2007/12/03 13:43
六 内偵調査(5)
 そこに不法入国した者がいるのか、不法残留した者がいるのか、それとも不法就労している者がいるのかを、確認してきちんと証明しなければ強制調査ができない。  任意調査という方法が基本なのだが、悪質な法違反を摘発するという目的のためには、裁判所の許可状に基づく強制調査に勝るものはない。  あやふやな情報の中から、内偵調査や張り込みによってより確度の高いものを選別し、摘発先の選定をする。  東京都内だけでも何万店とある飲食店舗の全ての情報を収集するのは容易なことではなく、それが役所に居乍らにしても... ...続きを見る

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2007/11/29 08:13
六 内偵調査(4)
「小山を内査に行かせようと思うのだが、お前は誰と組ませたらいいと思う」 「集中月間の内偵調査ですか。小山にはまだ早いと思いますが・・・」 「昇任試験には受からないが、あいつももう五年目のシーズンに入っている。そろそろ独り立ちしてもらわないとな。小山の自主性を認めてやれるような者で、しっかりした者を付けたいのだが」  飲食店舗の摘発には、内偵調査が欠かせない。毎日のように手紙や電話で寄せられる外国人がホステスとして、または売春をしていると言った内容で寄せられる情報には、不確かな内容のものが少... ...続きを見る

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2007/11/19 09:13
六 内偵調査(3)
 一枚の紙が九鬼の机の上に広げられていた。そこに地区別に書きこまれた飲食店舗の名前の横に、九鬼は警備官の名前を書いては消していた。 「大林はいるか、大林」  九鬼は大きな声を張り上げると、部屋中に響けとばかりに、大林警守長を呼んだ。  総務課のお下がりのコピー機は、その時も紙詰まりを起こして、大林を汗だくにしていた。 「何ですか、班長。傍にいるんですから、そんなに大きな声を出さないでください」  自然と大林の返事も鋭くなっている。 「あ、うん。見えなかったからな」  九鬼は目の前に... ...続きを見る

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2007/11/08 15:34
六 内偵調査(2)
 高校時代、優等生として通っていた小山は、成人した後でも、どうしても外せない付き合いの酒席には出るが、その流れから二次会に誘われても、殆ど参加することはなかった。  そんな小山を女性に興味がない変わり者だと見る者もいて、同性愛者ではないかとまで言う者もいた。だが小山はそんな周囲の声に、否定するでもなくまた肯定するでもなく、無関心を装って相手にしていない様子だった。  もちろん小山は年齢相応に成長を遂げており、女性に対する興味自体はあったのだが、自分から進んで風俗関係の飲食店舗に遊びに行こうと... ...続きを見る

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2007/11/02 15:24
六 内偵調査(1)
 その店に近付くにつれて胸の鼓動が高鳴り、心臓から規則正しく送り出される血流が、耳の奥の方で脈打つのが、今では少し心地よい。  緊張していた。  街路灯が煌々と照らし出す光景が、一歩そのビルの玄関に足を踏み入れたとたんに、暗幕を下ろしたように真っ暗な闇が、一瞬にして小山を包み込んだ。  何度も確認した筈だったが、その先に続く階段の果てに、あの桃源郷のような場所があるとは、未だに信じられない思いを小山は抱いていた。  高校を卒業して入管に入ってから三年が経とうとしているが、あのような飲食店... ...続きを見る

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2007/10/31 08:53
五 潜伏する者たち(11)
「奥様になられる方は、外国人登録もご一緒に済ませておいてください」  市民課の親切な職員の言葉を聞いているのかいないのか、書類を提出した二人はそそくさとその場を離れると、駐車場に向かった。  大きなワゴン車の中には、いま婚姻届を出したカップルの様子を食い入るように見つめている男女が、気持ちを落ち着かせるように深呼吸を繰り返していた。無事に届出を済ませた二人が戻ると、もう一組のカップルが入れ替わりに市民課の窓口に向かった。 ...続きを見る

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2007/10/26 07:17
五 潜伏する者たち(10)
 妙な取り合わせの男女だった。どこか似つかわしくないだぶだぶのスーツ姿の男に、それに寄り添う女との年齢も微妙に離れすぎている。腕を組んで歩いている姿もぎこちなく、どこかよそよそしいのだ。 「婚姻届はこちらの窓口でいいのかい」  浦和市役所の市民課、戸籍係の窓口に不釣合いなカップルが、それでもしっかりと手を繋ぎあって、婚姻届け出用紙を窓口の係官に差し出した。  窓口の係官は、用紙を受け取るときにふと眉をひそめたが、用紙から目を上げたその表情は、いつもの親切な市役所の職員の顔だった。 ...続きを見る

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2007/10/23 07:29
五 潜伏する者たち(9)
 ホアホアは念入りにハンカチで携帯電話を拭くと、真新しいハンカチを躊躇いもなく駅のゴミ箱に放り投げた。 「そろそろ潮時なのかな。役には立ったが、いい加減うざいな。そうかと言って亭主をどうこうするわけにもいかんしな。いい加減亭主が構ってやればいいのに」  そのときちょうどやってきた電車に飛び乗ると、ホアホアはぶつぶつ呟きながらも、周囲に不審な人物がいないのを確認することは怠らなかった。 ...続きを見る

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2007/10/20 08:49
五 潜伏する者たち(8)
 電車の中では説得できそうにないと考えたホアホアは、仕方なく電車を降りるとホームの端に移動した。 「何を小娘みたいな駄々を言ってるんだ。今日は駄目だって言ってるだろう。本当に今日は忙しいんだ。俺だって会いたいよ。だけど仕事をきちっとしなきゃ、俺の身が危うくなるんだよ。わかってくれよ。シャオチュン」  ホアホアは君子を中国風に呼ぶことで、歯の浮くようなせりふを、表情を変えずに言うことができた。  シャオチュンと呼ばれた君子は、最初の勢いは何処へやら、すっかりホアホアのペースに乗っていた。 ... ...続きを見る

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2007/10/18 07:19
五 潜伏する者たち(7)
 緩やかな振動が、いつものように眠り込んでいたホアホアを、現実の世界に引き戻した。  胸ポケットから震えている携帯電話を取り出すと、表示された電話番号を目にしたホアホアは、急に眉間の皺を濃くすると「ちっ」と舌打ちをする。  駅のホームに降り立ったホアホアは、忌々しいものでも見るような目つきで、携帯電話に表示された番号をじっと見つめていたが、振動が止まないのを見て取ると、受信ボタンを押して耳に押し当てた。 「今日という今日は、絶対に会って頂戴よ。約束よ。そうしてくれなければ、私にも覚悟がある... ...続きを見る

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2007/10/16 07:13
五 潜伏する者たち(6)
 思い切りが良ければ、ほんの少しの決断力があれば、隣で太平楽に眠りこけている中国人の男を、今ここで橋の上から投げ落としたなら、どれほど痛快な気持ちになれるだろう。  運転する日本人の男は、新宿に拠点を持つ広域暴力団の末端構成員だった。時と場所そして場面によっては、それなりに肩で風を切ることができた頃もあった。  それが今では中国人組織に運転手として雇われ、言われるままに自動車を運転して、何とか凌いでいる有様だ。 「しゃれにならん奴らだからな、こいつらは」  男は隣で眠りこける太った男に聞... ...続きを見る

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2007/10/14 06:58
五 潜伏する者たち(5)
 こわばった表情のまま運転する男は、それっきり口を開くことをやめた。  太って柔和な表情をした柔らかい物腰の男が、見かけによらず凶暴であることを思い出したのだ。  太った男はその様子に満足したのか、口笛を吹きながら中国語の新聞を読み始めた。  早朝の首都高速五号線をひた走ったパネルバンは、荒川を越えて戸田市内に入ると高速道路から一般道に降りた。  気まずい雰囲気の中で太った男は、やがて大きな鼾をかいて眠っていた。  運転する男は金のためとはいえ、中国人の使い走りのようなこの仕事について... ...続きを見る

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2007/10/12 07:19
五 潜伏する者たち(4)
 銀色に輝くパネルバンが首都高速五号線を、右に左に車線変更を繰り返し渋滞の中を要領よく走っている。 「戸田の倉庫でいいんだな」  運転席に座る男が、助手席の太った男に確認する。 「ああ、車を止めたらあんたはもう帰っていい」 「今日は何人乗っているんだ」 「あんたは箱を移動させるために雇われているんだ。余計な事に口を挟まない方がいいぞ。いなくなった日本人は多いからな、もんもん背負ってるからと言って特別じゃないぞ」  太った男はそれまでの柔和な表情を一変させて、凶悪な表情で吐き捨てるよう... ...続きを見る

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2007/10/10 07:24
五 潜伏する者たち(3)
「外国人がいるんだよ」 「嘘だろう。日本人だってお母さんが言ってたよ」 「探検してみようよ。歩道橋の上から見ると良く見えるんだ。付いて来いよ」 子供たちは楽しそうな歓声を上げて、歩道橋の上に駆け上がった。 「な、良く見えるだろう。窓を開けっぱなしだから部屋の中まで丸見えだ」 「ねえ、グランドに戻ろうよ。人の家を覗いたりしたら怒られちゃうよ」 「大丈夫だよ。怪しいアパートの探検なんだから」  小さな身体を寄せ合って最初に覗きこむのが誰なのか、互いに自分以外の誰かが覗き込まないかと様子... ...続きを見る

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2007/10/08 07:19
五 潜伏する者たち(2)
「第五平和荘と言うくらいだから、他にあと四軒のアパートがあるのかしら。それにしても得体の知れない人の出入りが多いわねえ」 「でも日本人だから良いじゃないの。何でも他のところの話では、アパートに外国人が集団で住み付いて、近所迷惑この上ないって話を聞いたことがあるわよ。 それにしてもあの怪しげな様子じゃ、小さい子供を外で遊ばせるのも憚られるわね」  第五平和荘は一戸建て住宅の中に、一つ取り残されたようにたっている古びたアパートだった。  近所の住人の話では、農地から宅地への造成が進んでいた時... ...続きを見る

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2007/10/06 09:04
五 潜伏する者たち(1)
 浦和という名の付くJR東日本の駅は七つある。浦和駅を中心に東西南北を冠する四つの浦和駅と、武蔵浦和駅と中浦和駅の計七つだ。  埼玉県庁に間近い浦和駅の周辺こそ開発が進み、商店や会社のビルが立ち並んでいるが、西や東に一歩外れるとそこには田園風景が広がっている。  新興住宅街を有する田園風景の中に、近所付き合いもなく多くの住民が移り住んで来ては、新たな街並みを形成して行く。  田畑や沼地だったところに建設され売り出された住宅は、それこそ飛ぶように売れた。そして街としての機能が追い付く間もなく... ...続きを見る

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2007/10/04 07:22
四 蠢く人々(8)
 富樫はホアホアの働きによって莫大な利益を受けていることから、山田君子が何を言ってきても邪険に扱うことができないでいるし、そんな二人の間柄を知っている君子の声は、自然と高く鋭くなるのだった。 「だけど仮にいま離婚したとしても、すぐに結婚するという訳にはいかないだろう。男の方は大丈夫でも、女のあなたは六ヶ月経たなければ再婚できないのだから」  富樫がそう言うと君子は、そんなことは承知しているとばかりに吐き捨てるように反論した。 「私が言いたいのは、何であの女と切れないかっていうことなの。私と... ...続きを見る

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2007/10/02 07:14
四 蠢く人々(7)
 意を決した山田君子は、富樫の事務所に押しかけていた。  柳眉を逆立てて詰め寄る中年の女に、富樫はもう二時間も相手することを強いられていた。  頭に血が昇った女を相手にすることなど、いつもの富樫になら何でもないことなのだが、その日は勝手が違っていた。  女の言うことの一つ一つが、ホアホアから聞いていた内容を遥かに外れていて、富樫をいつにない困惑の中に放り込んでいた。 「もう一緒になったのも同然じゃないの。私の夫名義の旅券を使っているんだから、あの人は私の夫ということでしょう」  君子は... ...続きを見る

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2007/09/30 07:37
四 蠢く人々(6)
 それ自体は喜ばしいことだったのかもしれないが、統制経済の国から来た二人が互いに支え合って築いた生活を、ひとたび贅沢な暮らしを味わってしまったことが、少しずつ二人の歯車を狂わせる結果をもたらしていた。  いま住んでいるマンションも二人には広すぎるのだが、仲間を呼んでパーティーを開きたいというのが、そこに決めた理由だ。  だがいまはそこに二人ともほとんど住んではいなかったし、訪ねてくる友人もいない。  そんなマンションを使っても良いと言われても、ありがた迷惑なだけでメイランはちっともうれしく... ...続きを見る

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2007/09/28 07:13
四 蠢く人々(5)
「富樫か・・・。  まあいいさ、それよりこのマンションはどうする。俺は新宿に行けば生活する場所にはこと欠かないから、取り敢えずお前に残して置いてやるよ」  最後のこの時もホアホアは、メイランの期待を裏切る言葉しか与えてくれなかった。  二人は結婚して五年になるが、子供には恵まれなかった。留学生として日本に来て、入管の手続きをしてもらうことになった行政書士の紹介で知り合ったのだ。  結婚した当初の二人は、双方の両親からの仕送りとアルバイトで、何とか生活して行けるといった生活だった。  そ... ...続きを見る

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2007/09/26 07:19
四 蠢く人々(4)
「もう一緒に生活していても、しょうがないわね。あなたは自分を見失っているようだし、私があなたにしてあげられることも、もう無いようですものね」  そう言うメイランの視線は窓から遠く外に向けられており、夫の視線を避けるように硬い表情をしていた。 「好い男でもできたか。お前は俺の言うとおりにやっていればいいんだ。それに離婚したら、いま持っている家族滞在の更新はできないんだからな」  ホアホアは半ば予想していた妻の申し出に、未練たらしい夫の役割を演じたくないと思っていたのに、いちばん言ってはならな... ...続きを見る

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2007/09/24 06:00
四 蠢く人々(3)
 日頃から外国人を相手に仕事をしていることで、外国人を冷静に見ることができると思っていたが、抑え切れない衝動が片岡を突き動かして、毎日のようにメイランに電話を掛けないではいられなかった。  中国人の女性と付き合っていることは、もちろん役所の者には秘密にしていた。職務上知り合った女性と交際することは、理由がどうあろうとも御法度とされているのだ。  たとえ携帯電話を拾ったのが縁で始まったと言っても、誰もそれをそのまま信じる筈がないと思った。  正直なところメイランの片岡に接する態度は、付き合っ... ...続きを見る

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2007/09/22 07:39
四 蠢く人々(2)
 だが良く見るとそれは中国人の女ではあったが、さっきまで片岡の頭の中を支配していたメイランではなかった。  携帯電話を拾ったことがきっかけとなり、片岡は週に一度はメイランと会うようになっていた。  連れの女を片岡に紹介するのがメイランの目的だったので、片岡にそのつもりがないことを敏感に察知した彼女は、少しずつ距離を置こうとするようになっていた。  だがそのとき既に片岡の方が熱を上げ始めて、いつもの片岡にはない積極性を見せていた。  それまで役所の上司から持つように勧められても、いつも縛り... ...続きを見る

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2007/09/20 07:20
四 蠢く人々(1)
 メイランに出会ったあの日から片岡は、ぼんやりと外国人登録係の窓口に座っていることが多くなった。  何度もメモ用紙の上に目を落としては、ぶつぶつと何ごとか呟いたかと思うと、回りにもそれと知れるような大きな溜め息をついた。  心ここにあらずといった様子なのだが、仕事それ自体はそつなくこなしているので、普段と様子の違う片岡に注意を払う者はいなかった。 「外国人登録はここで良いのですか」  片岡の前に女が立っていた。  その声に、はっと我に返った片岡の視線に、メイランの姿が飛び込んできた。 ... ...続きを見る

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2007/09/18 07:03
三 人事異動(13)
「成田空港には、私の方から手配しておきますが。あまり期待はできません。せいぜい山田和夫名義の旅券を使う男が、いつ日本を出ていつ戻ってきたのかが、ずっと後になって分かるだけかもしれません。  それでも何もしないよりは、できることはした方が良いと思います。いや、きっと役に立つはずです」  そう言うと九鬼も海老川の顔を、じっと見つめるのだった。  九鬼は自分たちがこのような事件をやるために、摘発をしていると必ず発生する在宅事件の処理を、島田というこの四月に転勤して来る班長に押し付けた格好になって... ...続きを見る

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2007/09/16 09:17
三 人事異動(12)
「その日本人の男名義の旅券を取得しできたのですから、その男の近辺に関係者乃至は本人がいる筈だ。  取り敢えずしばらくは、その中国人の男がどこに住んでいるのか、そいつを特定するのが先ですね」  如何に注意をされても、九鬼の声の大きさは変わることがなかった。 「では、我々は引き続き山田和夫の身辺を洗うことにします。  何、大きな事件になりそうですから、これに掛かりっきりになっても外事課長も文句は言わないでしょうよ。  ただそれには何としても、裏に隠れている者をきっちりと炙り出さねばなりませ... ...続きを見る

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2007/09/14 06:40
三 人事異動(11)
「それじゃあ、やはりその日本旅券を使用しているのは、旅券名義人ではないということですか」 「そうです。九鬼班長。 旅券の名義人は旅券を取得したこともなければ、海外に行ったことは一度もないというのですから。誰かが成りすまして取得したか、偽造の日本旅券かということになりますか」  小柄な海老川は背筋を伸ばして乗り出すようにして顔を九鬼に近づけると、まるで他の者に聞かせてはなるまいとでもいうように囁いた。 「その日本旅券を使っている者だけを捕まえても、面白くないな。せっかくこうして警察と合同で... ...続きを見る

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2007/09/12 07:33
三 人事異動(10)
 何しろ最終的には、在留を特別に許可するという決定を受けることが予想される事案であっても、容疑者と関係者の供述を録り、実態調査と呼ばれる容疑者の生活状況の調査などを行わなければならず、通常の違反調査の何倍もの時間と人手を要するのだった。  その足枷が担当地域の変更とともに一気に解決できるとしたなら、誰もが望むところではあった。  島田警備士の転勤を好機とばかりに、それを九鬼は提案したのだ。  九鬼の提案の骨子はこういうことだ。  摘発第一班は東京都、埼玉県、群馬県を、摘発第二班は山梨、長... ...続きを見る

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2007/09/10 07:08
三 人事異動(9)
 東京、埼玉、群馬であれば県境を接しており、合同摘発に積極的な埼玉県警を介して、消極的な群馬県警や入管を利用したがる警視庁とも、合同摘発をやる回数を質量ともに増やせると九鬼は目論んでいた。  それには飛び地のような担当地域より、県境を接して高速道路や鉄道網により繋がっている担当地域を持つほうが、より効率的且つ効果的に摘発を計画できると九鬼は考えたのだ。  警察との合同摘発では、摘発したその日の内に殆んど事件処理が終わってしまうのだが、中には不法残留後に日本人と結婚している者もいて、そのような... ...続きを見る

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2007/09/08 09:25
三 人事異動(8)
 例年の人事異動時期には本人の希望を汲み取っているが、それがそのまま希望通りになるとは限らない。  あまり一箇所に長くいるとそろそろ異動させようかということが多いだけで、適材適所の人事配置を実行するとは名ばかりで、各局に配分された人数合わせに過ぎない異動が例年のように行なわれていた。  増え続ける不法残留者や不法入国者の摘発の要請は高まるばかりであり、それに対して人手が足りないのは東京局も地方局も一緒であった。  人員がこれ以上増えないのであれば、一緒に仕事をする職員はそれぞれが高い能力を... ...続きを見る

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2007/09/06 07:02
三 人事異動(7)
「しょうがないだろう。人事異動というのは、必ずしも適材適所ってことにはならないのだから。  それに今になってそんなことを言っても、変更がある筈もないのだから、それこそどうしようもないだろう」 「でも、島田さんはないでしょう。まともに相手の眼を見て話をしませんよ、あの人は。  それに初めての東京局勤務で、あの人があんなであったとは、誰一人として知らなかったじゃないですか。  もっとも大村で一緒だった沼田課長は、知っていたらしいですがね」  庶務班長の板垣が、この四月に摘発第三班長として赴... ...続きを見る

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2007/09/04 07:33
三 人事異動(6)
「五月の月間の申し入れですか。いつも早い動き出しですね」  例年ゴールデンウィーク明けの五月に予定されている集中摘発月間の申し入れだと思った九鬼が、一ヶ月前からの早い申し入れに満足そうに応対していた。 「それもあるのですがね、九鬼ちゃん。ちょっとお知恵を拝借したいことがありましてね」  海老川班長がお知恵を拝借というときには、注意して掛からねばならないことの方が多い。ちゃん付けで呼ぶようなときは尚更だ。 「なんですか。ちょっと怖いなあ」と言いながらも、九鬼は満更でもない笑顔を崩さなかった... ...続きを見る

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2007/09/02 05:27
三 人事異動(5)
 入管法六十五条とは、入管法に違反している外国人が警察官等の司法機関に逮捕された場合、通常は検察官に送致した上で起訴や不起訴等の処分を経て、入国管理局に引き渡されることになるのだが、逮捕された外国人が入管法違反以外の犯罪の嫌疑がない場合に限り、逮捕して四十八時間以内に入国管理局に身柄を引き渡せることを規定しているものである。  これを入管法の直送規定と呼び、埼玉県警は早い段階からこの規定を利用しての合同摘発を実施していた。 ...続きを見る

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2007/08/31 06:24
三 人事異動(4)
 埼玉県は県内をJR宇都宮線、高崎線、上越新幹線や東北新幹線などの、東北や上信越への交通機関が大動脈の様に通っており、関越自動車道や東北自動車道などの高速道路網が整備されたことにより、それまで東京都の傍にありながら田舎じみていたのが、一気に首都圏の要衝の地位を占めるようになっていた。  事件発生件数あたりの警察官の数が、日本一少ない埼玉県警は刑事事件発生件数を加速させる恐れのある外国人法違反者の増加に、早い段階から危機意識を持っていた。  近接する東京都から流入する外国人法違反者の増加に、敏... ...続きを見る

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2007/08/29 07:50
三 人事異動(3)
「九鬼班長、いつもの埼玉県警の方がいらっしゃいました」  警備第二課庶務班の新採用といっても、採用されてからもう一年になる溝口警守が、二人の男を引き連れて髭面の九鬼の元にやってきた。 「溝ちゃん、いつものはないだろう」  そう言いながら笑顔で九鬼の前にやってきたのは、埼玉県警外事課の海老川班長と渡辺班長だった。  九鬼たちの所属する警備第二課と合同摘発を実施した回数は、警視庁をはじめとする東京入国管理局が管轄する警察本部の中では、埼玉県警が断トツで他の追随を許さぬ数を誇っていた。 ...続きを見る

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2007/08/27 06:50
三 人事異動(2)
 四階の西側にある次長室の前には、これから挨拶する順番を待つ入国警備官たちの行列ができていた。 「気をつけ。敬礼。入国警備官、警備士、大渕雅夫以下五名は、平成九年四月一日付けをもって、名古屋入国管理局から東京入国管理局への転任を命じられ、本日着任いたしました。以上申告します」  名古屋入管から転勤して来た五人の申告が終わると、総務事務室長に案内されて、次の入国警備官のグループが次長室に入って行った。  地下にある警備第二課、警備第三課から一階の警備第四課、二階三階にわたる警備第五課、六階に... ...続きを見る

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2007/08/25 08:13
三 人事異動(1)
 東京入国管理局第二庁舎、西が丘の通称二庁の前庭は、散り始めた桜の花びらが、絨緞のようにアスファルトを飾っていた。  午前九時の開庁に合わせて、職員たちが二人、三人と登庁してきた。  四月、学校は新学期を迎え、真新しいランドセルを背負う小学生や少し大きめの制服姿が初々しい中学生などの姿が、町のそこかしこにあふれている。  入国管理局もこの時期には、新規採用者や転勤して来た職員が、多い時には半数近くも入れ替わるのだった。  新規採用の者も転勤して来た者も、次長室から警備監理官室、そして所属... ...続きを見る

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2007/08/23 06:36
二 それぞれの夢(9)
 入管の申請手続きに携わっていた富樫も、入国警備官に摘発された者の手続に携わるのは初めてだった。  摘発されたが帰宅することを許された中国人留学生から、入国警備官による違反事件の取調べ状況を聞いて、ただ漫然と相手の出方を待っているだけではなく、自分たちに有利な状況を文書にして取調べに臨むことにした。  笑顔で入管の門を飛び出してきたホアホアの姿が、富樫の目に今も焼きついている。  あのときから中国人の間で、富樫の名は一躍有名となり、ホアホアも絶体絶命の窮地から生還したとして、中国人社会の中... ...続きを見る

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2007/08/21 06:34
二 それぞれの夢(8)
 昼間学校に行く関係から長時間の夜間作業に従事するようになったホアホアは、突然やってきた早朝の入管の摘発を、近場にあったプラスチップの山にもぐりこんで、辛くも逃れたのだった。  留学生のアルバイトは認められているにしても、ホアホアの就業時間は留学生に許された時間の倍近くになっていた。  あのまま捕まってしまったら、資格外活動容疑で強制送還されるところだった。  アルバイトに精を出しすぎて、ときどき学校に行くのを止めてしまったりしていたことも、プラスチックチップの山にもぐりこませた大きな理由... ...続きを見る

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2007/08/19 07:54
二 それぞれの夢(7)
 富樫は目を細めてメイランの後ろ姿を見送ると、机の上のスケジュール帳に印を打った。  浦和に事務所を置くようになって、もう十年以上が過ぎていた。最初の頃は仕事がなくて、事務所の経費を捻出するだけで精一杯の状況だった。支払いが滞り、事務所に戻れなくなったことも、今では笑い話にできるようになった。  あの日、ホアホアと出会ったことが今の隆盛を築くきっかけになるとは、あのみすぼらしくおどおどとした中国人の青年を初めて見た時には、思ってもみないことだった。  プラスチックチップに紛れて、入管の摘発... ...続きを見る

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2007/08/17 06:53
二 それぞれの夢(6)
 その時々で見る夢は違っている。  規則正しい電車の揺れが、ホアホアの中枢神経を程好く刺激し、いつしかホアホアは眠りについている。  ホアホアと呼ばれている男は、正式には陳華平といい、中国福建省の出身だった。  日本語学校の学生として来日して以来、もう十年になろうとしていた。  すっかり日本語も覚えて、かなり裕福な暮らしをしているように見えるホアホアだが、これまでの生活は決して傍で見ていて楽なものではなかった。  それは電車の中で子供のように眠っているホアホアが、時折何かに脅えて目を覚... ...続きを見る

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2007/08/15 07:00
二 それぞれの夢(5)
 新宿から埼京線に乗った男は、赤羽で乗り換えるかそのまま大宮まで行くか、まだ迷っていた。  ホアホアと呼ばれていた男は、携帯電話で連絡をとろうとして、苦笑いしながらそれを諦めた。 「あいつの携帯は今、他の男が持っているんだよな。まずい、まずい」  そう呟いて男は深くシートに座り直すと、このまま大宮まで行くことに決めた。  電車の振動は何故こうまで、人の神経を弛緩させるのだろう。  ホアホアは決して緊張感のない生活をしているわけではない。どちらかと言えば常に、細心の注意を周囲に払わなけれ... ...続きを見る

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2007/08/13 06:42
ニ それぞれの夢(4)
「週末には彼に会えるからね。今の内にやらなきゃならないことは、やっておかなきゃ」  そう言って女は、次から次へと帳簿の整理を始める。  女の亭主は組合の寄り合いとか言って、いま頃は大宮の繁華街で仲間と酒を飲んでいるに違いなかった。  女は結婚して直ぐに分かっていた筈だった。  夫は安い事務員を雇ったつもりでいるだけで、自分に対する愛情など持ってはいなかったのだ。  あのとき別れてしまえば良かったと、今でも女は思っていた。いずれは社長婦人だという思いが、女に離婚を思い留まらせた。  そ... ...続きを見る

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2007/08/11 08:18
ニ それぞれの夢(3)
 美女木印刷は国道十七号線バイパスから、その敷地内すべてを見ることができた。  工場の大きさに比べて駐車場が広く感じるのは、印刷を終えた大量の印刷物を大型車両で運び出さなければならないからだ。  小さな印刷工場だった。  家内制手工業とでもいうのだろうか。社長と専務、常務などと役職者がいるが、それらはすべて家族や親族によって占められていた。  工場の隅の事務室で中年を迎えた女が一人、伝票の山を抱えて悪戦苦闘している。 「何で私だけが、こんなことしてなくちゃならないの。経費節減と言っても... ...続きを見る

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2007/08/09 06:43
ニ それぞれの夢(2)
 大麻やMDMA錠(固形麻薬)、覚せい剤などに酔った中国人男女が、頭を揺らしながら踊ったり性交をしたりすることから、彼ら中国人の間で、文字どおり揺頭(ヤオトゥ)パーティーと呼ばれていた。  煙ったような大部屋を避けて、二人の中国人の男がテラスに出ていた。  太った中国人の男が、タバコを燻らしている細身の男に話しかけた。 「ホアホア、今日もいっぱい入ったな」 「その呼び方は止せ。俺の名は山田和夫だ」  細身の男は、胸ポケットから紺色の表紙の旅券を取り出すと、太った男の顔の前にひらひらと見... ...続きを見る

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2007/08/07 06:42
ニ それぞれの夢(1)
 東京都新宿区、夜の歌舞伎町や大久保通りは韓国語や中国語がそこら中を飛び交い、しかも道行く者たちの国籍も多種多様で、夜の八時を過ぎた頃にはそこは日本ではなくなっていた。  大久保通りを少し入ったところに、そのマンションはあった。  通りで車を降りた男女が、三々五々腕を組みながらマンションの一室に入って行った。  部屋の中は真っ暗で、天井に場違いなミラーボールが回っているのが、唯一の照明となっていた。  通常のマンションを改造して、襖や障子を取り外した室内の中に、殆んど全裸の男や女が床の上... ...続きを見る

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2007/08/05 06:29
一 蛍の導き(10)
 片岡は真赤な顔をして、それでも何とか自分の名前を陳に伝えることができた。片岡の顔がそのとき赤かったのは、もうすっかり醒めた酔いのせいではない。 「ここは寒いですし、どこかでお茶でも如何かしら。御礼もしなくちゃなりませんものね。お時間は大丈夫ですか」 「も、も、もちろん」  陳の申し入れを拒否する理由など、片岡が持っている筈もなかった。  片岡は外国人登録係としてさまざまな国籍の外国人と日々接しており、他の日本人に比べて外国人を見る目には自信があった。  外国人の中には得体の知れない怪... ...続きを見る

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2007/08/03 06:41
一 蛍の導き(9)
 果てしなく続く片岡の空想を突然さえぎったのは、あの聞き覚えのある声だった。  そのとき片岡の想像世界では、片岡とその声の主との結婚式が始まっていた。 「あなたですか。携帯電話を拾ってくださったのは」  片岡の想像していた以上の女が、そこに立っていた。だが隣に立っているもう一人の女の存在が、片岡を戸惑わせるのだった。  二人並んだ女のどちらがこの電話の持ち主なのだろう、そして片岡は携帯電話をどの女に返せば良いのだろうと思った。  二人の顔を交互に見つめて戸惑う片岡の様子に、声を掛けてき... ...続きを見る

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2007/08/01 19:01
一 蛍の導き(8)
 富樫は途中の電話室の前で立ち止まると、じっと中で行なわれている会話に耳を澄ませた。 「どこに落ちていました?  今あなたが持っている電話は、私のなんです。どこで落としたのかわからなくて困っていたんですよ。  拾ってくださったんですよね。どこに落ちていました。  ああ、そうでしたか。これからそちらに取りに行きたいのですが、あなたは大丈夫ですか。そちらで待っていていただけますか」  女はそういって受話器を置くと、富樫の方を見て親指を立てて見せた。それを見た富樫も満足そうに肯くのだった。 ... ...続きを見る

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2007/07/31 06:57
一 蛍の導き(7)
 JR北浦和駅前のビルの一室では、十人ほどの女たちが個室に籠もって電話をしていた。  どこに掛けているのか、なかなか電話は繋がらない様子で、しばらく呼び出し音をじっと聞いては、溜め息をつきながら電話を切って、そして時間を置いては掛け直すという繰り返しだった。  一見するとテレフォンクラブのような状態だが、そこにいるのは若い女ばかりで、男は奥の方でふんぞり返っているのが一人いるだけだ。  女と知り合いたい男たちが、女から掛かってくる電話を待っているわけではないので、テレフォンクラブというので... ...続きを見る

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2007/07/29 07:11
一 蛍の導き(6)
「私の電話、拾ってくださったんですよね。どこに落ちていました」  どことなくイントネーション(語調)が日本人とは違う感じがしたが、市役所で外国人登録係をしている片岡には、それほど違和感なく受け入れることができた。  そんなことよりも電話の声の主がどんな女性なのかと想像して、知らず片岡の頬が緩みがちになっていた。  さっきまで一緒に呑んでいた女たちに勝るとも劣らないほどに、電話の声の女性は心地よい響きを片岡の耳に届けていた。 「これからそちらに取りに行きたいのですが、あなたは大丈夫ですか。... ...続きを見る

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2007/07/27 07:02
一 蛍の導き(5)
 涙でくしゃくしゃになった片岡の視線が、まるで蛍のように点滅する光を捉えた。 「蛍?」  小さな昆虫の発する光に救われた思いを抱いた片岡は、ゆっくりと立ち上がると点滅する光に近づいて行った。  近づくに連れてその点滅する光が、微かな音を発しているのに気付いた。 叢に隠れて片岡を待っていたのは、微かな音を発して切なく震えて光る携帯電話だった。 「もし、もし」  手にした携帯電話を大事そうに包み込んで片岡は、誰のものともわからぬ携帯電話で、どこの誰とも知らぬ相手と話そうとしていた。 「... ...続きを見る

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2007/07/25 07:44
一 蛍の導き(4)
「私の電話、拾ってくださったんですよね。どこに落ちていました」  どことなくイントネーション(語調)が日本人とは違う感じがしたが、市役所で外国人登録係をしている片岡には、それほど違和感なく受け入れることができた。  そんなことよりも電話の声の主がどんな女性なのかと想像して、知らず片岡の頬が緩みがちになっていた。  さっきまで一緒に呑んでいた女たちに勝るとも劣らないほどに、電話の声の女性は心地よい響きを片岡の耳に届けていた。 「これからそちらに取りに行きたいのですが、あなたは大丈夫ですか。... ...続きを見る

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2007/07/23 07:12
一 蛍の導き(3)
 涙でくしゃくしゃになった片岡の視線が、まるで蛍のように点滅する光を捉えた。 「蛍?」  小さな昆虫の発する光に救われた思いを抱いた片岡は、ゆっくりと立ち上がると点滅する光に近づいて行った。  近づくに連れてその点滅する光が、微かな音を発しているのに気付いた。  叢に隠れて片岡を待っていたのは、微かな音を発して切なく震えて光る携帯電話だった。 「もし、もし」  手にした携帯電話を大事そうに包み込んで片岡は、誰のものともわからぬ携帯電話で、どこの誰とも知らぬ相手と話そうとしていた。 ... ...続きを見る

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2007/07/22 07:36
一 蛍の導き(2)
 今日は珍しく役所の後輩の誘いで合コンに参加したものの、体よくスポンサーにされ一人取り残されてしまったのだ。  後輩たちは三々五々、二次会と称し二人連れでいなくなった。会計を済ませた片岡が外に出たときには、もうそこには知っている顔はどこにもなかった。  片岡はこみ上げて来る嘔吐感に、思わずベンチを立ち上がり、草叢を探して吐こうとした。  飲み食いしたもの以上に吐き出した気分だった。  片岡は涙目になりながら、更に口の中に指を突っ込むと、胃袋まで吐き出そうという勢いで吐こうとした。  そ... ...続きを見る

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2007/07/20 07:56
不法就労者(仮題) 第一部 偽装結婚 一 蛍の導き(1)
 開襟の半袖ワイシャツが、肌にべったりと張り付くような暑い夏の夜。  その男は足元もおぼつかないくらいに酔っていた。  大宮の氷川神社の参道を、男は右に左によろけながら、とぼとぼと歩いていた。  参道沿いに設えてあるベンチに、男は座りこんだ。 「何がご馳走さまだ。ふざけやがって。もう二度とあいつの誘いには乗らんぞ。片岡さんにだって意地ってもんがあるんだ」  男は片岡という名で、大宮市役所の外国人登録係で働いていた。  地方の大学を卒業すると大宮市役所に職を得て、生まれ故郷である埼玉に... ...続きを見る

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2007/07/19 06:48
緊急報告 「空白の記憶」の連載中止のお知らせ
 これまで半年近くに亘って、連載してまいりました「空白の記憶」の連載を中止しました。  楽しみに読んで頂いていた方々には、大変申し訳ないのですが、急遽、出版社から申し入れがありまして、中止することにしました。  近日中に他の物を連載開始するつもりでおりますが、まだ三分の一程度の仕上がりですので、書き下ろしとなることから、これまでのように毎日というのは難しいかもしれません。  「空白の記憶」については、新春の発売を楽しみに待って頂き、是非、ご購入ください。  よろしくお願いします。   ... ...続きを見る

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2007/07/18 07:21
コーヒーブレイクのついでに
 前にお話した、木曜日の昼の楽しみであるコーヒーの旨い店「サントス」(048−825−7705)に、今日から「入国警備官物語」を、置かせてもらっている。もしもお近くにお立ち寄りの節は、旨いコーヒーと面白い本をお楽しみください。  本は販売しておりますし、時間が合えば、署名もしますので、お会いできればうれしいですね。 ...続きを見る

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2007/07/11 10:40
「空白の記憶」の出版が決定しました。
 一冊目が出てから、三年の月日が流れてしまいましたが、やっと二作目の出版が決定しました。  出版されるのは、今、ブログに連載している「空白の記憶」だ。  一週間後に編集者が決まり、校正などの作業に入る。  本のデザインや印刷準備などを経て、来年の一月に発行されることとなった。うれしいね。 ...続きを見る

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2007/07/05 08:05
明けましておめでとうございます
 「空白の記憶」は未だ三分の一を越えたばかりのところです。これからますます興味深く、面白くなってゆきますので、ご期待ください。  昨年は、自分が本当にやりたいことが、未だ定まらずといった状態だったのか、どっちつかずのふらふらとした生活を送ってしまいました。(不惑はとうに過ぎているのですが・・・・・)  環境が変わって五年が過ぎた今年こそは、よりアグレッシブに、多方面にわたって活動の幅を広げて行きたいと思っています。  執筆活動も、入管関係業務も、セミナー等の講演活動も、そして審判としての活... ...続きを見る

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2007/01/01 02:01
久しぶりの更新になります
 パソコンの調子が悪くて、ずっと更新できないでいました。パソコンも新しくしましたし、これからは大丈夫。  こうして執筆活動を休止している中で、懐かしい人たちに次々に会うことができました。俺が現役で摘発していた当時、親しくさせていただいていた人たちです。中にはずっと俺と会いたくて探していたと仰ってくださる方もいて、感激です。  コンサルタントとしての仕事も増えていますので、時間を有効に使わないといけませんね。  それに登録も今度は文句を言わせないようにしないと。どうも俺の攻撃的な姿勢が一... ...続きを見る

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2006/09/11 09:21
敢えて火中の(第八十一回) 終章 再生のとき
 時を重ねるほどに俺は、胸に秘めた怒りや、突き上げるように湧きだす力を、その身体全体に感じていた。 ...続きを見る

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2006/08/09 12:14
敢えて火中の(第八十回) 第十八章 訣別の譜
「私(わたくし)は、今回の事件により、入国警備官という、法執行機関に勤務する立場にあったにもかかわらず、法律を犯す行為をしてしまいました。  この点については申し開きのしようもなく、慙愧の念に耐えません。  これにより、国民の信頼を裏切り、入管全体の社会的信用に傷をつけてしまったこと、また、家族をはじめとする周囲の方たちに、多大な迷惑をかけてしまったことを、深くお詫び申し上げます。  本件行為の際、私には、後日発覚する危険があるかどうかを考える余裕はありませんでしたが、日々の多忙な業務の中... ...続きを見る

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2006/08/08 08:47
敢えて火中の(第七十九回) 第十七章 敢えて火中の(2)
「それには当時の入管の体制、また昨年からの取り調べにおける入管の体制にも、大きな問題があったということですか」 「翌年の入国警備官の増員要求に向けて、ノルマとも言える過酷な摘発業務を課せられた中で起こった逃走事件であることを、少しも理解してはいないと思っている。  もちろん俺自身が関与していることは事実で、それについて言い逃れをするつもりは全くないから、取り調べに於いても積極的に事実を認め話してきた。  関係した誰もがみんな、俺や大林、そして畠山のように、最初から事実を認め、話してくれてい... ...続きを見る

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2006/08/07 07:51
敢えて火中の(第七十八回) 第十七章 敢えて火中の(1)
「何があったのですか」  黙っている俺に、どうしたのかとでも言いたげに、重ねて村木が問いかけている。 「はい、二月十四日に内示情報を知った夜のことです。毎朝新聞の記者が、自宅まで俺を尋ねてきました」 ...続きを見る

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2006/08/06 20:03
敢えて火中の(第七十七回) 第十六章 明かされた真相(2)
 俺は最近になって続けて連絡して来た、二人の人物の話を思い出していた。  一人は新宿で摘発に従事している入国警備官だ。  小柄な身体に十分なパワーと新たな技術にも精通した、年こそ若いが優秀な入国警備官だ。  俺がこのような境遇になった今でも、欠かさず連絡してくるのだから、信頼の置けることは言うまでもなかった。 「今度の局長なんですけどね。面白いことを言うんですよ。『稲山と九鬼の二人が悪者で一件落着、それで良いじゃないか。もう忘れよう』って、そんなことを言うんですよ。  俺は納得したくは... ...続きを見る

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2006/08/05 17:45
敢えて火中の(第七十六回) 第十六章 明かされた真相(1)
 続いて村木弁護士が、事件が発覚した後のことに付いて、質問を引き継いだ。 「平成十三年六月、その過去の逃走事件が発覚し、入管内部、法務省と調査が行なわれたわけですが、最初に発覚した事実を突き付けられたときのお気持ちを聞かせてください」 「関係書類を警察から取り寄せるように言われたのですが、その書類を手にして見たときも、これと言った感覚もありませんでした。  沼田さんの元に集まるように言われ、沼田さんから概要をお聞きしたときに、何故か本当のことなのだろうかと、不思議な話でも聞くような気持ちで... ...続きを見る

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2006/08/04 08:22
敢えて火中の(第七十五回) 第十五章 暴かれる人間性(2)
 入管はこの不服申し立ての審問に、本省の西検事を当ててきていた。  その上で沼田を証人として、呼んだということは本格的に攻勢を掛ける意思を示したのだった。  沼田はそれまでの態度を一変して、はきはきとした声で西の質問に答え、如何に入管の下した処分が理に叶っているかを述べていた。  しかし村木の質問に対しては、突如惚けた老人のようになり、のらりくらりとするところなど流石は古狸であると、俺は不覚にも感心してしまった。  俺からの証人要請を断わった挙げ句に、人事院での不服申し立てに対し、入管側... ...続きを見る

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2006/08/03 09:25
敢えて火中の(第七十四回) 第十五章 暴かれる人間性(1)
 その日、弁護士事務所には、沈鬱な空気が流れていた。 「九鬼さん.。必ず執行猶予は付くと思いますが、有罪判決は免れないと思われますので、人事院の不服申し立てを取り下げようかと思うのですが」  公用文書毀棄、虚偽有印公文書作成・同行使罪には、懲役刑しか定められておらず、有罪となれば国家公務員の忌避事由にかかり、自動的に失職となるのだった。 「俺としてはそのまま申し立てを継続して、今一度言いたいことを言わせて貰いたいという気持ちなんですが。  駄目でしょうか。  それに全てやり終えなければ... ...続きを見る

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2006/08/02 07:29
敢えて火中の(第七十三回) 第十四章 悪夢の続き(3)
 最後に稲山の弁護士が、甲高い声で俺に質問した。  法廷内で声を心地よく響かせるには、声の質とともに音の大きさや、発音にも気をつけるのだと、以前に検察官から聞いたことがあった。  稲山の雇った弁護士ということもあり、俺にとってその甲高い声は『罪を被りたい』などとほざいた男を思い出させて、鳥肌が立つ思いがした。 「課長に報告した後、どうしようかと考えたのですね」 「そうです」 「課長からは、具体的な指示はなかったのですか」 「何もありませんでした」 「指示はあったのでは、ありませんか... ...続きを見る

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2006/08/01 07:46
敢えて火中の(第七十二回) 第十四章 悪夢の続き(2)
 続いて玉田弁護士が俺に質問をする。 「九鬼さんは当日の摘発に於いて、主管班長であったということで、監督責任を問われていますが、島田さんが担当していた取り調べ中の中国人が逃げたことについてまでの、このように広い監督責任はあったとお考えですか」 「主管班長とは先ほど河合氏がお話したとおり、警察との連絡調整に当たるものであり、そのように広い監督責任があるとは考えていませんでした」 「では島田さんに対する監督責任は、誰が負うべきだと考えますか」 「警備第二課長である稲山さんであり、当日の指揮官... ...続きを見る

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2006/07/31 07:26
敢えて火中の(第七十一回) 第十四章 悪夢の続き(1)
 待合室の中には、妻と俺の他に、証人として証言してくれる河合や出向で香港に行っている植田、新宿で連日連夜の摘発業務の合間を縫って来てくれた古川など、多くの友人が俺の公判に駆けつけてくれていた。  俺はじっと俺の顔を見つめたまま、言葉の出ない植田の手をしっかりと握り締めると、彼らの目の前で無様な姿は見せられないと、再び心に誓うのだった。  七月十九日、午前十時、東京地方裁判所第五一五号法廷、第二回公判に於いて、我々側の情状証人として河合が証言をした。  河合ははっきりとした声で、当時の警備第... ...続きを見る

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2006/07/30 05:28
敢えて火中の(第七十回) 第十三章 公判開廷(4)
 浦和駅は大宮駅に比べて西口も東口も、県庁を懐に抱えているわりには、駅前の貧相な感じは否めなかった  駅前の喫茶店で、俺は林田と待ち合わせることにした。  約束の時間ちょうどに小柄な林田は、昨年の夏の摘発以来の懐かしい顔を俺に見せていた。 「ご無沙汰しています。と言っても裁判所でお会いしていますけどね。今はどうされているんですか」  林田は入管の担当から警視庁の担当に配置換えされていたが、初めて同行取材した愛知県での摘発のことが印象的で、いずれはまた入管の取材をしたいと思っていた。  ... ...続きを見る

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2006/07/29 06:19
敢えて火中の(第六十九回) 第十三章 公判開廷(3)
 その日の朝、いつもは大人しい『ムサシ』が騒いでいるのに気づいて、俺は目を覚ますと階下に降りて行った。  新聞を取りに玄関を出た俺に、やたらに興奮した『ムサシ』が纏わり付いてくる。  新聞受けの中に茶色の封筒が入っていた。郵便物ではないその茶封筒は、昨日の夜にはなかったから、投函されたのは今朝だということになる。  それで『ムサシ』が騒いでいたのだ。茶封筒の表には俺の名前が書かれており、俺の住所も氏名も知っている相手が投函したものだ。  林田と書かれた差出人の名前に、心当たりはなかった。... ...続きを見る

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2006/07/28 07:36
敢えて火中の(第六十八回) 第十三章 公判開廷(2)
 六月二十日、午前十時、東京地方裁判所、第五一五号法廷は、裁判官の開廷の合図を待って、公判が開始された。  検察官の起訴状朗読、証拠の採用、起訴事実の認否と続き、その日は稲山の妻が、情状証人として証言して終わった。  検察官はやる気のなさそうな中年の女性だったが、その朗読する声は見た目を裏切るほどに張りがあった。  稲山としては、即決で終了したいとの意向だったが、供述の一部について我々の方が不同意とし、被告人に対する弁護人の質問に変えられたことから、一回では終わらなくなった。  勿論、俺... ...続きを見る

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2006/07/27 07:11
敢えて火中の(第六十七回) 第十三章 公判開廷(1)
 村木弁護士は、四月から何度となく打ち合わせをする中で、場合によっては分離公判となるかも知れないが、言いたい放題の裁判にさせないためにも、こちらとしては合同でやってもらいたいと申し入れていると言っていた。  無罪を争う公判ではないことから、こちらは俺が何の利益にもならないのに敢えて今回の犯罪に着手したこと、それがこれまでの俺の仕事振りから導き出せること、そして十分に反省していることを裁判官に訴えるというのが中心となった。 「九鬼さん、入廷の前は控え室で待っていることになりますが、控え室は稲山... ...続きを見る

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2006/07/26 09:06
敢えて火中の(第六十六回) 第十二章 火中の栗(3)
 どう考えても、あの当時責任を被らなければならないのは、俺ではなかった。  勿論、逃走した中国人を追跡したならば、摘発月間を予定どおりに消化することはできなかっただろうし、それは俺にとっても苦渋の選択であるのに変わりはない。  だがそれは、課長や課長補佐が考えればいいことだったのかも知れない。  しかし俺にとっては、そう考えることなどできなかった。  あのとき確かに俺は目の前に起きた逃走事故を、どうしたらよいのかを考えていた。  そして稲山も大戸も、右往左往するばかりで、何の指示も出せ... ...続きを見る

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2006/07/25 01:10
敢えて火中の(第六十五回) 第十二章 火中の栗(2)
「稲山さんの供述調書は、三月十一日付が一番古い調書ですよね。  逮捕される前の調書が、俺のものはあるのに稲山さんのものは証拠として提出されていないのは、どう考えれば良いのでしょうか」 「昨年六月の調査の時点から、稲山さんの供述は一貫して知らない。逃走した身柄の捜索を指示したとなっていたのだと思います」 「逮捕されて初めて、容疑を認めたと考えてよろしいのでしょうか」 「そうでしょうね。それも九鬼さんに被せていますけれども、大戸さんもほぼ同時期に供述していますね。  検察官はずっと否認して... ...続きを見る

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2006/07/23 06:56
敢えて火中の(第六十四回) 第十二章 火中の栗(1)
 供述調書を読んでいて、何度読まなければよかったと思ったか知れなかった。  しかし法廷できちんとした裁判を受けるためには、必ず通らなければならない作業なのだと言われて、検察官から証拠として提出された全ての供述調書を読み終えた。 「島田さんと稲山さんの調書は酷いですね。稲山さんの調書については、一部不同意として、公判で私が厳しく質問することにしたいと思います。  今回の事件で逃走されたことについては、九鬼さんに責任があることではないし、九鬼さんの失態ということでも当然ないのですから、九鬼さん... ...続きを見る

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2006/07/22 00:29
敢えて火中の(第六十三回) 第十一章 供述調書(4)
『逃走した事実については、私も承知しておりましたが、その後の措置については稲山さんと九鬼班長が相談して決めたようで、私には稲山さんから削除して無かったことにしたからとしか聞かされておらず、私としては課長が決めたことに異を唱えることはできなかったのです』  課長補佐だった大戸だ。  俺と一緒に周辺の捜索もし、課長に報告したときも一緒だった筈なのに、その供述がこれだった。  『ほり』で一緒に呑んだときに、大戸が俺に言っていた応分に取るべき責任の結果が、この供述だったのだ。  稲山はこの大戸の... ...続きを見る

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2006/07/21 07:50
敢えて火中の(第六十二回) 第十一章 供述調書(3)
『入国管理局は違反事件を全て立件することになっており、今回の場合、被摘発者名簿を作成した段階で、立件したものと思われる。  一度立件したものを削除するということは通常しないし、間違って番号をとった場合でも欠番とするのが通常の取り扱いである』  何のための供述なのか、最初は読んでいても分からなかった。  本省にいる福島という男の供述調書だった。  福島はかつて東京局にいた頃の集中摘発月間で、集団居住するアパートを発見し、そこを独り占めにしようとした男だ。  優秀な入国警備官であることは確... ...続きを見る

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2006/07/20 06:48
敢えて火中の(第六十一回) 第十一章 供述調書(2)
 逃走事件の始まりである緩慢な違反調査をしていた島田は、自分のしたことについて、予想通りの他人事のような供述をしていた。 『身柄を監視しなければならないのは、取り調べに当たっている私一人に負わされているのではないし、帳場の人間も監視の責任があると思う。  逃げられたのは私の責任ばかりじゃないと思った。  九鬼班長が課長に報告しに行ったので、私は敢えてしなかった』  島田の顔を思い浮かべながら読んでいて、あのときもう少しきつい言葉のひとつも言っておけば良かった。  しょんぼりとして、為す... ...続きを見る

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2006/07/19 10:10
敢えて火中の(第六十回) 第十一章 供述調書(1)
 不服申し立てが受理されたのは、五月も半ばを過ぎてからだった。 「不服申し立ては正式に受理されました。門前払いということではないと理解して良いかと思います。  六月二十日に初回の公判が始まりますが、稲山さんは即決裁判を望んでいるようです。  初公判のその日に判決までと言っているようで、この様子では多分、稲山さんは九鬼さんに責任を被せてくるのだと思います。  それと沼田さんの証人としての出廷が駄目になったのは残念ですが、九鬼さんには他に誰か証人として出て貰える人はいますか。  現職の職員... ...続きを見る

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2006/07/18 07:18
敢えて火中の(第五十九回) 第十章 村木法律事務所(3)
 第二庁舎の三階の一番西側にある広い部屋に、沼田はソファに座って俺を待っていた。 「大変だったな」  沼田はそう言ったきり、言葉を飲み込んだ。  俺の目の前に置かれた茶碗は、来客用の茶托付きのものだった。  俺はもう入国警備官ではなく、お客さんなのだと改めてそう言われたような気がした。 「良い経験させて貰いました」  決して強がりではなく、俺の口は自然にそう言っていた。 「こんなことになる筈じゃなかったんだがな。取り調べに当たったのが、刑事部だったのが誤算だったな。  公安部の検... ...続きを見る

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2006/07/17 06:43
敢えて火中の(第五十八回) 第十章 村木法律事務所(2)
 これからの日程を打ち合わせたが、一回目の公判が六月二十日とかなり先であることから、まずは人事院に対する不服申し立てから着手することになった。  また公判の準備として、冨田検事の忠告どおりに沼田に弁護側の証人として出てもらえるよう依頼することも決定した。  明日にでも役所に行って、私物の整理と北川や花村たち後輩に挨拶をするつもりだった。  沼田は大阪の転勤がなくなり、東京局の次長に昇格していたので、そのついでと言っては何だが、挨拶に行って依頼しようと考えた。  不服申し立てについては、こ... ...続きを見る

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2006/07/16 07:06
敢えて火中の(第五十七回) 第十章 村木法律事務所(1)
 昨夜は遅くまで妻や子供たちと話をしていて、寝たのは一時を過ぎていたのだが、六時には目が覚めてしまった。  三週間の拘置所生活で身に付いた早起きの習慣だ。早起きは悪いことではないから、これからも続けて行こうと思っている。  まだ薄暗い庭先に出て、タバコを取り出した。愛犬の『ムサシ』が擦り寄ってきた。ずっと散歩にも行っていないのに、それでも俺のことを覚えているようだ。  たとえ散歩に連れ行かなくても、エサを与えたりしなくても、子犬のときからずっと受けてきた飼い主の愛情を忘れることなく、犬はい... ...続きを見る

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2006/07/15 02:27
敢えて火中の(第五十六回) 第九章 葉桜の頃(3)
 飛田検事が見るようにと言っていた周辺の桜は、既に葉桜という状態だったが、それでも俺の目には新鮮な外界の輝きで一杯のように感じられた。  拘置所の厚い鉄扉を抜けて、待合室のベンチで所在なげに待っている妻の元へ、俺は一歩一歩近付いて行った。  俺に気付いて駆け寄る妻が、小首を傾げて俺に笑い掛ける視線が眩しかった。 「お疲れ様でした」 「ヤクザの出所じゃないぞ」  大変な思いをしてきただろうに、妻のそんなことを露にも出さない気丈さに、俺は本当に助けられている。  拘置所を出てすぐのところ... ...続きを見る

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2006/07/14 07:34
敢えて火中の(第五十五回) 第九章 葉桜の頃(2)
 村木弁護士は免職処分となった理由の中で、同列である筈の島田班長に対する監督責任を、俺が負わされているところが引っかかるとし、法務省は主管班長という言葉に全ての責任を被せようとしているのではないかと考えているようだった。  法務省がそのような頑なな姿勢で来るのだから、保釈を申請しても直ぐには許可が出ないと村木は考えていた。  慎重に進めた保釈申請手続きは遅れがちとなり、保釈が許可され拘置所を出ることができたのは、月が変わって四月になってからだった。 ...続きを見る

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2006/07/13 07:27
敢えて火中の(第五十四回) 第九章 葉桜の頃(1)
 その日、面会室で待っていたのは、花村と中島の二人の入国警備官だった。  一日に面会できるのは一回だけだから、彼らと面会すると妻とは面会できなくなる。  それを知っていて俺は、二人の面会に応じた。  鉄格子に仕切られた面会室を見慣れている二人にとっても、まさかかつての上司であり先輩の俺と、鉄格子を介して会わなければならないとは、想像していなかったに違いない。  しかもその上司であり先輩の俺は、法務省入国管理局から告発され、起訴されているのだから、現職の入国警備官が面会するには憚られること... ...続きを見る

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2006/07/12 07:31
敢えて火中の(第五十三回) 第八章 生きていてこそ(3)
 三月二十五日、鉄格子越しに妻の顔を久しぶりに見た。逮捕されてから二週間の時が経っていた。  結婚して十五年経っている。ずっと専業主婦で俺と子供のためにだけ生きてきた女だ。世間知らずのようなところもある。  それが面会したときに真っ先に話してくれたのが、俺が自殺を図るのじゃないかと心配していたということだった。  俺が妻のこと、家族のことを心配していたように、妻も第一に俺の身を案じていてくれたのだ。  しっかりと俺の顔を正面から見据えて、これまでどのようなことを外でやってきたかを、順序立... ...続きを見る

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2006/07/11 09:32
敢えて火中の(第五十二回) 第八章 生きていてこそ(2)
 弁護士が接見に来たのは、逮捕されてから四日が経ってからのことだ。 「九鬼さんの御友人である万田さんの紹介で、弁護をすることになりました。 村木と言います。隣は一緒に弁護をする玉田弁護士です」  低いバリトンでそう言った村木は、弁護士ドラマの主人公にでもなりそうな男前の弁護士だった。  玉田弁護士は女性で、どこかエキゾチックな外国人を思わせる風貌をしていた。  接見室に入った途端に感じた違和感は、玉田弁護士の風貌に負うところが大きかった。  何で外国人の女性が一緒に来たのだろうと、... ...続きを見る

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2006/07/10 09:48
敢えて火中の(第五十一回) 第八章 生きていてこそ(1)
 収容房に戻ると、名前こそ知らないが俺の房の担当係長らしき人が、房の中に入ってきた。 「処分も決まりましたね。起訴されたのですから、後は早く保釈申請を弁護士さんにしてもらって、一日も早くここを出てくださいよ。  昔であればあなたのしたことは、部下の失敗を庇った懐の深い上司と言われることでしょうけど、今は時代がそうではないですからね。  しょうがありませんね。同じ公安職の身でこのようなところに入ることになりショックでしょうけれど、くれぐれもおかしなことだけは考えてはいけませんよ。  若い刑... ...続きを見る

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2006/07/09 15:07
敢えて火中の(第五十回) 第七章 飛田検事(3)
 私は三畳ほどの広さの部屋の中で、膝を抱えてじっと考え込んでいた。  泥仕合になるとは、どういうことなのだろう。  未だ認めていないというのだろうか。  それにしては免職処分も受けているし、起訴されてなお否認しているとは考えられない。  私と稲山は起訴されたものの、何故か大戸は起訴されなかったらしい。いやそれどころか逮捕されたのも、私と稲山の二人だけのようだ。  大戸はどのように供述して、逮捕を免れたのだろうか。  大戸が以前入管の幹部職員の不正を掌握していると自慢していたのを、私は... ...続きを見る

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2006/07/08 15:28
敢えて火中の(第四十九回) 第七章 飛田検事(2)
 午後三時、看守の呼ぶ声に応じて取調室に向かった。  飛田の机の上はきれいに片付いて、入室した私を迎える飛田の顔も心なしかほっとした様子だった。 「行政処分の告知は終わりましたか、稲山さんも免職処分のようです。  大戸さんは二ヶ月の停職、大林さんと畠山さんは減給処分、ことの発端となった島田さんは、戒告処分となったようです。  その他にも本省の総務課長が更迭されたり、多くの方が今回の事件の処理の遅れを問われて処分されたりと、かなり異例な大掛かりな処分となったようです。  それとお二人を、... ...続きを見る

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2006/07/07 17:06
敢えて火中の(第四十八回) 第七章 飛田検事(1)
 目の前の小さなテーブルには、アルマイト容器に入った米麦混合の昼飯が、ひっくり返したまま口も付けずに残っている。  処分の告知を受けた日、再び拘置所の昼食に手が伸びなかった。  初めて拘置所の食事を摂ろうとしたときに、口にした途端に嘔吐感に襲われ、アルマイトの弁当箱にもどしてしまった。  結局その日の夕食には手も付けずに返却したのだが、それを見て親切な刑務官が弁当箱をひっくり返して食べると、白米の方から食べることができて食べ易いことを教えてくれた。  環境の激変によるショック症状だと思わ... ...続きを見る

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2006/07/07 08:33
敢えて火中の(第四十七回) 第六章 懲戒免職(3)
 持って回った分かりにくい文章だ。  私はいきなり最初のところで、何を言っているのだろうかと不審に思った。  それは、最初に大戸課長補佐指揮の下と謳っていながら、島田班長の違反調査における非違行為の監督責任を私に問うているところだった。  指揮官である大戸補佐よりも、主管班長である私の方が責任の幅が広いと言っているのだ。  主管班長というのは、そんなに権限の大きいものだったのだろうか。  担当都県の警察との連絡調整が主たる事務で、同僚である筈の他の班長に対する監督義務まであったのだろう... ...続きを見る

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2006/07/06 09:24
敢えて火中の(第四十六回) 第六章 懲戒免職(2)
「被処分者を免職とする。被処分者は、平成八年四月一日から同十年四月八日までの間、東京入国管理局警備第二課調査第一班長として、東京都、埼玉県及び群馬県内における法違反者の摘発及び違反調査等の業務に従事していたものであるが、 1 同局警備第二課調査第一班長として自ら主管班長として実施し摘発した外国人に対する違反調査を行うに当たっては、同外国人の取調べを担当する入国警備官らをして同外国人の動静に注意し適切に看視させるなどして、同外国人の逃走を未然に防止すべく指揮監督する義務があったにもかかわらず、同... ...続きを見る

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2006/07/05 08:27
敢えて火中の(第四十五回) 第六章 懲戒免職(1)
 三月十八日、法務省大臣官房人事課付きの検事と法務事務官の二人が、処分に関する最終調査のために、私と面会した。  既に出来上がった意見書を朗読し、間違いがないかを訊ねた後、それを私に書き写させるという段取りで事務的に時間は進んでいった。  その内容はこれまで私が話してきたことの確認に過ぎず、一時間ほどで終わることになった。  検事から身体の調子は如何ですかと聞かれたが、初対面の人でもあり儀礼的な問い掛けだと思い、私はぶっきらぼうに特に不調なところはないとだけ答えた。  勾留尋問に当たった... ...続きを見る

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2006/07/04 08:14
敢えて火中の(第四十四回) 第五章 逮捕勾留(4)
「どうしても分からないのですが。何故九鬼さんは、無かったことにしようなんて自分から言ったのですか。  あなたには、そうしなければならない理由はなかったように思えますが。  それと稲山さんも大戸さんも、逃げたのが入管法第六十五条の身柄だと認識していたと供述しました」  驚きだった。  逮捕されるまで否認してきた稲山が、こともあろうに逃げた中国人が任意同行した身柄ではなく、柄受けした身柄だと認識していたと言っているとは、では、私の供述はいったい何の為だったというのか。  それに今この段階に... ...続きを見る

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2006/07/03 09:11
敢えて火中の(第四十三回) 第五章 逮捕勾留(3)
 無様な姿を晒すことなく自己をしっかりと持って、ここはやり過ごさなければならないときだと心に言い聞かせ、信じたくない思いと突きつけられた現実を咀嚼し、自分をやっと制御できる頃には、東京拘置所に着いていた。  拘置所に於いて入所手続きを済ませると、広さが三畳ほどの独房に案内された。  取り調べがあるから食事を摂っておくようにと言われたが、冷めてしまった米麦混合の飯は流石に喉を通らなかった。  自慢できることではないが、私は、収容所や収容場での看守勤務の経験もあるし、今はドラマやドキュメンタリ... ...続きを見る

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2006/07/02 07:56
敢えて火中の(第四十二回) 第五章 逮捕勾留(2)
 午後三時を過ぎていただろうか、やっと小嶋事務官が私を呼びに来た。  部屋に入るといつものように、部屋の奥に窓を背にして飛田が待っていた。  心持ち緊張したその顔に、私は結論が出たのだろうと思い、逸る気持ちを抑えきれず、いつのまにか早足で、一歩一歩検事の側に近づいていった。  後一歩というところで、きれいに片付いている検事の机の上に、一枚の紙が載っているのに気付いた。  反対側から見ているのだが、それは正面から見ているかのように、正確に読み取ることができた。  そこにあるのは、逮捕状だ... ...続きを見る

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2006/07/01 17:21
敢えて火中の(第四十一回) 第五章 逮捕勾留(1)
 その日の朝のことはもう遠い記憶の中にあり、天気が晴れていたのか、曇っていたのかさえ思い出せない。  だが平成十四年三月十一日の月曜日に起きた出来事は、思い出そうとして思い出せるものでもないが、忘れ去ろうとしてもまた忘れられないことだった。  休みを貰った翌日の日曜日の取り調べは、殆んど内容がなかったことから、私は妻に「今日あたり結論が出て、長かった取調べも終わると思う」と言い置いて検察庁に向かった。  午前中はやはり雑談に終始して、取り調べとは思えない雰囲気だった。  昼食はいつものよ... ...続きを見る

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2006/06/30 07:47
敢えて火中の(第四十回) 第四章 束の間の休息(3)
 弥生三月の春の夜といっても、夜の冷え込みは厳しいものがある。  子供には聞かせられないと思い、妻を誘って車を出した。  五年前の五月二十一日に何が起きたのか、そして昨年の六月からどのような調査を受け、さらに告発されたことで今、検察庁でどのような調べを受けているのかについて説明した。  妻は様々な疑問を私に投げかけたが、結局は納得せざるを得なかった。  逃走事件は事実起きたことだし、その事実を隠蔽したのではないといくら言っても、ここまで捻じ曲げられた状況では、誰にも信じて貰えなくなってい... ...続きを見る

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2006/06/28 16:46
敢えて火中の(第三十九回) 第四章 束の間の休息(2)
「お父さん。キャッチボールしよう」  テレビ番組はいつの間にか終わり、末っ子の勇太がグローブを手にして、私の顔を覗きこんでいた。  険しい顔をしていたのだろう。勇太は不安そうな眼差しで、私を見つめていた。 「よし、早いボール、投げられるようになったかな」 私にも守らなければならないものがある。それが怒りを外に向けさせることを許さなかった。  何ものにも拘らず、自分の思うところを進んで行けば良いのだ。  そしてその評価は回りの者が、正当にしてくれるに違いない。  正直に、素直に、真っ... ...続きを見る

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2006/06/28 08:27
敢えて火中の(第三十八回) 第四章 束の間の休息(1)
 小春日和の暖かな日差しの中にいると、妻が掃除をする音も気にならず、朝起き上がるのが辛くなるほど、のんびりとした気持ちになった。  枕元の時計を見ると、九時を回っていた。  階下では子供たちの笑い声が、テレビの音とともに響いてくる。  土曜日に学校が休みになってから、子供たちと過ごすことができる週末のこの時間は、私にとって貴重なものになっている。  名残惜しい暖かなベッドから勢いを付けて飛び出すと、階段をゆっくりと降りて行った。起きるタイミングを外してしまうと、家族の会話の中に入れなくな... ...続きを見る

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2006/06/28 08:27
敢えて火中の(第三十七回) 第三章 東京地検刑事部(4)
 それ以後の取り調べが坦々と進んでいったのは当然で、昨年の六月から繰り返し話してきたことの、確認の意味しか持たなかったのだから。  それでも取り調べは、連日のように行われた。  だがそれは取調べとは名ばかりで、一緒に私が出たテレビ放送番組のビデオテープを見たりしながら、当時の摘発のエピソードを話したりしていたのだ。  そんなある日のことだ。 「こんなにいい仕事をしているのに、忙しく身を粉にするように仕事をしているのに、何で隠蔽なんてことをしたのでしょうね。  それにこの中国人は窃盗で逮... ...続きを見る

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2006/06/26 07:38
敢えて火中の(第三十六回) 第三章 東京地検刑事部(3)
 取り調べが始まって二日目の夕刻のことだった。  分厚い関係記録の束に隠れている供述調書を拾い読みしている飛田が「九鬼さんの供述の中で、本省の西検事に対する供述が一番変ですよ」と突然切り出した。 「被摘発者名簿の誤記載によって、逃げた中国人が六十五条の身柄ではなく任意同行してきた身柄だと判断