摘発のすすめ(摘発の着手と注意点)1

 確度の高い情報を基にした綿密な内偵調査の結果を受けて、摘発先を選定し、摘発を実施することになりました。
 従事者も思うように召集することができて、考えうる万全の体制を執ることができました。
 こうなればもう打ち込むばかりだと言えますが、摘発先が一箇所であれば問題はないのだが、従事者を多数抱える複数個所の摘発、それも近接している場所を複数摘発実施するのであれば、気を付けなければならないことがあります。
 それは着手時間の統一です。摘発先が近接していたり、同業種の摘発先であったりした場合、摘発されたことを同業の者に通報する輩がいますので、こういった摘発の場合は、同時刻に一斉に摘発に着手するのが望ましいのです。
 ある繁華街で飲食店舗の一斉摘発を実施した時のことだ。
所轄の警察署を三々五々出発した我々は、着手予定時刻の二十分前にビルの傍で待機していた。
 俺はビルの地下の一階の店を担当していたので、ぶらりと階段を降りて店の前に到着する時間を正確に測ってから、再びビルの傍の側道に身を潜めていた。
 着手予定時刻を時計で確認しながら、ビルの階段を降りて店の前に到着した時だった。一秒と違わない到着であったが、ドアノブに手を掛ける前に内側から「ガチャリ」と施錠される音が聞こえた。ドアに耳を当てて店内の様子を窺うと、鳴り響く電話のベルの音とともに、どたばたと人が動き回っているのが分かる。
 摘発が察知されていたのか、それとも・・・・・。
 どうしてそうなったのかは、警察署に戻ってから分かることになる。

 摘発に失敗し、手ぶらで所轄の警察署に戻ってきた我々は、そこに身柄を確保している集団を見つけた。
 その集団は取り決めた着手時間を守らず、現場到着後すぐに着手していたのだった。
 着手時間を守らない班があったから、着手時間を厳守した班が摘発に着手しようとした時には、既に近隣の飲食店舗の連絡網が機能し、一斉に店を施錠したということが分かった。
 着手時間を厳守し、摘発に失敗した班はフライングした班を責め立てるが、着手時間を守らなかった班にも言い分はあった。
 どうも事前に情報の漏洩があったようだと言うのだ。現場に近づくにつれて、周辺の客引きが慌しい動きを見せたのを見た警察官は、異変を察知し、直ぐに着手しなければならないと判断するに至ったと言うのだ。
 確かに連絡網があったにしても、今回の失敗の裏には事前の情報漏洩があったと思われなくもなかった。それは講堂の片隅で盗み聞いた、警察官同士の言い合いの内容からも推測できていた。
 それにしても着手時間を決めたのに、自分の班が担当するところだけは身柄を確保しようとして、着手時間を守らずに着手してしまっては、漏洩だけが問題であるということはできないし、しかも情報漏洩などというのは確実に誰が漏らしたのかということを立証することなどできないのだから、結局は水掛け論になってしまい、纏まらない話で終わることになった。
 そこで誰の責任かを突き詰めても、結果、失敗したものは元に戻ったりはしないのだから、俺は次に同じ場所を摘発するにはどうしたら今回のようなことが起こらないのかを考えることにした。

 情報の漏洩についてはさて置き、着手時間を統一できなかったことが問題のひとつであることは確かだ。
 そうなった理由には、功を焦るあまりに時間を厳守しなかったこと、早かったと言っても秒単位でのことだろうという気持ちがあったこと等々考えられるが、狭い地域での多店舗の一斉摘発においては集団が狭い地域に密集する訳で、容易に周辺の飲食店舗関係者に察知されることとなる。
 そのような状況下で着手時間に差があっては、他の店舗の摘発は不発乃至は着手できないことにもなってくる。
 試みに時計を見て時間を数えてみると、10秒という秒単位の時間が思いの他に長いということが分かる。
 階段を駆け上がれば二三秒でひとつの階を昇って行けるであろうから、多寡が数秒であっても多に先駆けてしまっては、他の店舗の摘発に支障をきたすことにもなってしまうのだ。
 それを防止する為には、時計あわせを実施することをお勧めする。よく俺の時計は時報に合わせてあるから正確だという声が聞かれるが、それぞれの時計を時報に合わせて正確である必要はこの場合ない。
 従事者全員の時計が合っていれば良いのであるから、それぞれが時報に合わせる必要はなく、従事者が一堂に会したところで時計合わせをするのが合理的である。

 次に時間を厳守したとしても、大勢が一斉に集まってしまっては、周辺の状況が騒がしくなるばかりでなく、物々しい雰囲気でそれが察知されてしまうことにもなりかねない。
 それを回避する為には、最小限の人員、この場合、一店舗につき二人が最初に打ち込むようにするのが良い。
 残りの人員は三分後から遅くとも十分後までに現場に到着するように調整するようにすると、周辺の状況に影響することなく摘発を実施できる。
 但し、最初の二名は出入り口を監視し、後続の従事者の到着を待つ間、店内を平静に保たなくてはならない。出入り口が一箇所であれば問題はないが、裏口があった場合などはそちらの監視も怠りなくやらなければならない。
 十分な内偵調査の結果を踏まえて、出入り口を確認しておけば、それは容易に対応できることであるが、現場に突入した結果、判明するようなこともあるので、最初に突入する二名の入国警備官には臨機応変な行動が要求される。
 それでもこのような飲食店舗であれば、客や不法就労しているホステスを店内に閉じ込めて置いておくことで所期の目的は達成される。
 遅くとも十分後には到着する後続を待ってからでも、その後の店内の事情聴取等の摘発行動は十分に間に合うのである。

 後続が入店し、それぞれの配置に着いた後も、出入り口の監視を怠ってはならない。遅れてやってくるホステスはそのまま中に引き入れ、出て行こうとするホステスは阻止し店内に戻さなければならないからだ。
 店内が落ち着き、簡単な事情聴取を経て、違反を問える者と問えない者とに選別したら、先ずは酔客を帰そう。
 着手時に店内がごった返し、収集がつかない場合や状況証拠や本人たちの供述などによって、資格外活動容疑者がいない乃至は証人の供述なしでも立件できると踏んだら、その段階で酔客は帰した方が作業はし易くなる。
 ホステスの選別には店のボックス席を利用して、連行する者とそのまま店に置いて行く者とに分けて座らせる。
 気をつけなければならないのは、摘発時に受傷事故や逃走事故が起こるのは、立ち上がらせて移動させたりするときに多いのであるから、選別する為や手荷物を取りに行かせる為など必要な移動以外はさせないことだ。
 着席している連行するホステスには、どの店のホステスであったのかを記載した識別表(プレート状のものが用意できると良いが、荷札を使っていてひんしゅくをかったことがある)を用意して着装させる。
 これは所轄の警察署などに集合した時に、摘発先を明示しておかないと混乱しかねないからである。大掛かりな摘発では、このように摘発先が一目で分かるように明示することが必要だ。

 繰り返してお話しすると、摘発着手時に起こる逃走や受傷事故は、身柄の移動のときに起こることが多い。摘発先で身柄の確保及び選別が済んで、車両まで護送・連行するときはより慎重に実施するようにしよう。
 大柄な男性を連行するときは、手の甲を相手の背中に向けてベルトを掴み、掴んだら甲を外側に向けてひねり、ズボンが食い込むようにして連行すると良い。
 女性や複数の男性を連行するときにはそうすることもできない場合があるが、それでも肩に手を置いたり、胴回りに手を添えたりして、どこか身体の一部に触れておくと良い。
 身体のどこかが接触していると、連行している相手の様子が目でも、手の感触でも看視できるし、自由な状態であるよりも逃走しようという気持ちを押し止める効果が期待される。
 また、逃げようとして不意に手が離れた時にも、直ぐに察知できるので対応が易しいのである。
 逃げようとした身柄を掴んで引き付けようとしてはならない。しっかりとベルトを掴んでいるのであれば格別、肩や胴回りに手を添えている状態から逃げようとした者を引き付けると、手首をひねったり、爪を傷めたりすることがあり危険だ。
 そうした場合は、離れて行く方向に押して倒すことだ。逃走しようとする者の勢いと相俟って、確実にそこで制止することができる。
 
 現場から逃走される、取調室から逃走される、護送中の車両から逃走される、容疑者等が逃走する場面は、意外な程に多い。
 その原因は、施設や車両の不備によるものもあるが、多くはヒューマンエラー(人為的過失)によるものである。
 これから摘発現場での逃走事故、連行途中での逃走事故、車両による護送中の逃走事故、取調べ中の逃走事故について、例をあげて検証し、発生の理由とそれにどのように対応したら良いのかを考えてみることにしよう。
 摘発現場での逃走に関しては、もともと現場で探し出して、逃げる者は追いかけて捕まえるのが摘発の本旨であるから、逃走されるということが前提にあるのは言うまでもない。
 但し、現場を良く知らなかったが故に、人員の配置を誤ったり、追い込みの方法を誤ったり、身柄を待機させる場所を選定し誤ったりしたことで、現場がまるで子供の鬼ごっこの様を呈したことがある。
 コンクリートの成形工場での摘発である。きちんとした門構えを有する工場であったが、作業場は屋根こそあるものの屋外の露天での作業が主であった。
 我々は正門から突入し、二人一組でバディを組んだ我々は、至る所に分散し作業している外国人に声を掛けながら、身柄を取り込んで行くという手筈だった。
 手前からそれぞれのバディは阿吽の呼吸で外国人を見つけ出し、次々に容疑者を確保していった。
 四組のバディが十数人の身柄を押さえて、入り口の傍にある事務所に連行しようかと思ったその時、奥の方で大きな声がした。
 
 八人で十数人の身柄を確保していたので、取り敢えずは確保した身柄を事務室まで連行することとし、声の方向には事務室で会社関係者と話をしていた指揮官に身柄を預けて、二組を残した俺は声のした方向に向かった。
 点在する作業場の一つ一つを確認しながら、奥へ奥へと向かった我々の目の前に田んぼが広がっていた。
そうだ、正面は立派な門を構えて、周囲を壁で閉鎖されていると思った工場の奥は、そのまま開放されていて底に田んぼが広がっていたのだった。
 まるで阿弥陀籤のように広がる田んぼの畦道を、容疑者とそれを追う入国警備官がいた。
 畦道を縫うようにして追いかけている入国警備官と容疑者との距離は、二百メートルも離れていただろうか、実際に追いかけられると分かるが、至近距離であれば追いかけられている者の方が、心理的に追い詰められてつかまってしまう可能性が高いが、この距離まで離されると逆に、追いかけている方の徒労感が強くなり、より離されて追い付けなくなるものだ。
 脚力に自信のない俺はその状況を見て、即在に追跡を断念した。念の為に周辺に隠れている者がいないかを確認するのがやっとだった。
追跡していた入国警備官たちが追跡を断念して戻ってくるのを確認した我々は、事務室に残してきた容疑者たちの元へ戻るのだった。

 後になって思っても遅いことだが、この摘発の一番の失敗は内偵調査の不備だと言える。
 正面の立派な門構えを見て、周囲を塀によって囲われていると認識して摘発を計画したのだが、塀によって囲まれているのは正面だけで、他は開放された空間で、とりわけ奥に行って見るとそこは田んぼが広がっていて、いざという時にはそこが天然の要害となって逃走を手助けすることとなったのだ。
 今はゼンリンの明細地図やネットで周辺の状況なども詳細に把握できるから、摘発する時に何処を固めて、何処から進入して行けば良いのかを事前に考えることができるだろう。
当時はそのような手段がなかったことから、内偵調査を実施した入国警備官は工場の作業場の奥まで行って観察調査したことに満足してしまっていた。
 この摘発の内偵調査報告書は、俺の先輩であり、採用時の上司でもあった人が作成したもので、俺が見ても良く実態を調査していると思って感心する程の内容だった。
 何しろ誰にも誰何されることなく、作業場の隅々まで見て廻ったことが良く分かる報告書だった。惜しむらくは、作業場を取り囲む状況を一言添えて置いてくれたのならば、と思わざるを得ない。
 作業場の奥が開放されていることが、摘発を実施する責任者が知っていたならば、班を二つに分けるなりして、前後から絞り込むような体制を執ったであろうと考えるからだ。
 そこまで報告しても、それに対応する体制を組まなかったのであれば、それは責任者の失態であると言える。

 護送車として使用していたマイクロバスの席は補助席に入国警備官が座って、窓側に摘発した容疑者を詰め込んでいた。
 現地を出発してから既に一時間以上が経っていた。首都高速五号線を抜けてマイクロバスは板橋本町の交差点に向かって、高速道路を降りようとしていた。
 車両で移動しているときの入国警備官は、運転に従事する者と助手席でナビゲーションする者の他は、然程の緊張感もなく、ときに居眠りをしている場合が多い。
 しかしこのときの車内は比較的に緊張感に包まれていたのだ。摘発現場が荒れた上に、やっとの思いで摘発連行した身柄であったから、容疑者たちもそれを見張っている入国警備官たちの間には、ある種の緊張感があった。
 現場から高速道路を経由して、首都高速に入り走行を続けていた間には、容疑者にも不穏な動きはなく、車内の雰囲気は緊張感が心地良いほどに感じられてもいた。
 首都高速の板橋本町ランプは、高速を降りたところで国道17号線に合流する形態となっている関係から、降り切った所で信号機による交通管制が掛かっている。
 マイクロバスは赤信号に従って止まらざるを得なかった。その時だ。マイクロバスの中程の窓がスライドしたかと思ったら、そこから容疑者がひとり飛び出して行った。
窓が開いて容疑者が飛び出すまでは、あっという間の出来事で数秒と掛かっていなかった。

 当時も護送用の車両には、逃走防止にスティール製のバーが填められていたが、集中取り締まり月間用にレンタルされたマイクロバスにはそのような装備がなかったことが、逃走を容認したのだった。
 逃走された場所は大きな国道沿いの交通量も多い場所だったので、即座に追跡するようなこともなく取り敢えず帰庁後に周辺を捜索するに止め、それ以上のことはしなかった。
 逃走した容疑者の取り扱いについては、後ほど論考しようと思っているが、単独摘発における容疑者の取り扱いが確かに緩いものであったと、深い反省の念を込めて申し上げておくことにする。
 それ以後は、常設のバーも二本にし、またレンタルした車両については施錠しロックした状態で、窓の開閉ができないようにして対応した。
 少なくとも護送・連行車両から逃走されたのは、俺自身はこの一回限りだが、他でも何度か起きているし、身柄を確保してあと少しで帰庁するということで乗車している入国警備官たちに油断と言うか、まさか此処に来て逃走するとは考えても見なかったという状況下にあったのは間違いない。
 いくら設備を整えたとしても、身柄を看視する入国警備官に油断や隙があれば、容疑者は逃走しようとするし、逃走するのだと思っていなければならない。

"摘発のすすめ(摘発の着手と注意点)1" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。