摘発のすすめ(摘発の着手と注意点)2

 もうひとつ逃走事故についてお話しする。
 九人乗りのワゴン車は山梨県の矯正施設から受領した四人の身柄を乗せて、中央高速から首都高速四号線に入って行った。
 ワゴン車は運転席のある最前列の両側と中央左側にスライドドアを配置している一般的な車両だ。
 その車両に助手席に護送責任者が座り、二列目の席の入り口に一人、最後列の左側に一人、そして運転をする者と四人の入国警備官が乗り、四人の身柄は二人ずつ手錠で繋がれ二列目と最後列の窓側に座らせていた。
 四人の身柄は既に収容令書が発付されていたので、戒具である手錠を掛けられての護送となっていた。
 首都高速が混んでいたということで、護送車は高速を降りて一般道を走ることになる。
 交差点で信号待ちをしたその時だった。最後部の座席に座っていた中国人の男が窓を開けて外に飛び出したのだ。
 信号が青になったので車両は進み、路肩に駐車して逃走した方向を見たが、何処に行ったのか中国人の姿は既に消え去っていた。
 護送責任者と運転をしていた入国警備官が周辺を走り回ったが、逃走した中国人の姿を捉えることはできなかった。
 他にも三人の身柄を抱えていることから、護送責任者は役所に逃走された事実を報告するとともに、取り敢えず帰庁し残った身柄を収容するように指示されたのだった。
 
 幸いなことに逃走した中国人の身柄は、大田区において確保され、再収容した。やれやれと思う間もなく、逃走された実態の解明と今後の対応策を命じられた俺は、不承不承それに取り掛かることになった。
 それと言うのも、今回の逃走事件は令書執行した身柄に逃走されたもので、摘発時に逃走されたりした場合と違い、責任者や直接の看視義務が誰にあったのか等によっては、処分の対象ともなりかねないことから、俺自身はそのような結果を齎しそうな調査をやりたくはなかったのだ。
 そんな俺がとことん調べる気になったのは、矯正局から人事交流でやって来ていた男の一言だった。
 その男は法務省内の人事交流制度により、矯正局から入国警備官、警備士補として派遣されてきた者だった。
 それが「責任は取りますよ。取りゃあいいんでしょう。どうぞ処分してくださいよ」と当時の担当課長と課長補佐に対して言っているのを聞いたからだ。
 一見すると、言葉遣いは兎も角、護送責任者として潔い態度であるとも思えたが、よく事情を聞いてみると、矯正局から派遣されている職員の分限処分は派遣もとの了解を得なければならないらしく、事実上、処分などということにはならないということだった。
 その男はそういった事情についても承知していた節もあり、また、そういった事情の下での男の態度に、俺の心に火が着いたのだ。

 閑話休題(それはさておき)、矯正施設や裁判所から引き取った身柄は手錠と腰縄をするのが原則であったので、連行中も車両による移動中も身柄に逃走しようという意欲が湧かなかったというところに依存する部分が多いと言える。
 手錠は両手錠と二人の人間を片手ずつ手錠で繋ぎ合わせる合い手錠があるが、それぞれ一長一短がある。
 両手錠に腰縄を施しておけば、連行中も相手の様子もしっかりと看視できるし、両手が塞がった状態であるので自由が利かないといった利点があるが、車両に乗せた場合にはそれぞれが単独となるので、手錠を掛けられたまま逃走されるという恐れがある。
その点、合い手錠であれば一人が逃走しようとしても、繋がれたもう一人にその意思がなければ逃走されることはないが、どちらかの手が自由となっているので手錠を外されたり、窓を開閉されたりする恐れがある。
 手錠を外すなどということはそう簡単ではないと思われがちだが、おれ自身安全ピンや虫ピンなどで簡単に外すことができたし、手先の器用な者なら他の鋭利なものを利用して簡単に外したとしても驚くものではない。
 手錠の掛け方にもよるが、鍵穴を掛けられた者が見えるように身体方向に向けるか、見えないように鍵穴を反対側に向けるかを工夫しても、見えるようにすると空いた手によって鍵を開け易くするし、見えないようにした場合でも、手首を返しながら動きを悟られないように開けられる等、いずれも考えようによっては一長一短がある。

 手錠は手首の関節から三センチメートルほど身体側の部位にしっかりと装着する。指一本分の余裕が必要だとされるが、小指が入る程度で良い。
 何度も手錠を施した警備官に手錠を掛けた状況を再現させたが、不都合な掛け方ではなかった。逃走された時の手錠の掛け方を疑われているのだから、いつもどのように掛けていると言われて、緩い掛け方をする者はいないだろうから、これを検証しても意味がないと直ぐに思った。
合い手錠の相手方は右手に手錠を掛けたまま、逃走する者を呆然と見送っていたという。
 警備官が逃走を認知し、座席を見ると施錠されたままの手錠が残されていたというのだ。要するに逃走した者は手錠から手を抜いて自由を獲得し、施錠されていない車両の窓を開け放って、逃げ出したのだった。
 まるでマジシャンの脱出のような鮮やかな手口で、最初は信じられなかった。手錠を緩々に掛けてしまっていて、しかも護送官が居眠りでもしていたんだろうと思っていた。
 案の定、居眠りとまでは行かないまでも、車内は弛緩した監視状態であったようだ。それとて直ぐにそう認めた訳ではない。一番の理由が、車両の窓が施錠されていない設備の不備だということを話して聞かせて、それの他に逃走した身柄が身体的に特異な人物であったことがあり、最後に看視体制にゆるみがあったのではないかと話をして、渋々認めたのだ。

 特異な人物であったというのは、再収容して収容場の中で、手錠抜けを実演させることで確認した。
 驚いたよ。五本の開いた指があっという間に纏め上げられ、鳥の頭のような形になったかと思うと手錠からすっぽりと抜けたのだ。
 骨が全体的に柔軟で細いのが手錠抜けを許した最大の要因だった。その男を実験台に、色々と手錠の掛け方を工夫し試したが、手首の少し身体側にぴったりと隙間なく手錠を掛けない限りは抜けられるということが分かった。
 ただ、ぴったりと掛けると徐々に手の色が変わってきたことから見て、血流に障害が出ている可能性があり、適宜の状況確認が必要だ。
 また、実験的に行ったものであり、掛けられた方は多少の痛みや痺れを我慢していただろうから、実際にこのように手錠を掛けようとしたならば、痛がって抗議してくるだろうと思う。
 検証した結果、護送車両の窓は何らかの方法で施錠し、開かないようにすること。
 看視の為に乗車している入国警備官の配置を、対象人数と座席配置を考慮して座らせること。
 運転している者は当然、居眠りなどする筈もないのだから、乗車している全ての入国警備官は常に緊張感を持って、護送に従事することを改めて示達すること。
 これらを行うこととしたが、最終的には車両の窓を施錠することだけが優先されたし、多分、未だに守られているのだろう。

 話は戻るが、摘発現場から身柄を車両に連行するときにも、逃走事故は起こっている。
 西川口でのことだ。居宅での摘発で中国人の男たち数人を確保した。身辺整理をさせた後、一人ずつ担当を決めて車両まで連行しようとしたときのことだ。
 俺は階段の下で、容疑者とそれを連行する警備官や警察官を見ていた。
 入国警備官は、容疑者のズボンのベルトに手を掛けて身体を密着させながら、窮屈そうな姿勢で降りてきた。
 それを見ていてのことなのかどうか、後ろに続く警察官が連行する身柄は両手に荷物を抱えてゆったりと一人降りてきた。
 その後ろ二メートルくらい離れて警察官が付いてきていた。距離的には不安ではあるが、問題となるようなものではなかった。ただ、その付いて行く姿勢に問題があった。警察官は自分の前を行く身柄が、その前を不自然な姿勢で連行されて行く身柄の後を大人しく辿って行くだろうと思っていたに違いない。
 その眼は容疑者に向いているものの、以前お話したSEE(観る)の感覚だった。
 WATCH(視る)ではなくLOOK(見る)でさえなかった。大きな荷物を抱え、周りに警備官や警察官がいる中で、まさか逃走を図るとは思ってもいなくて、看視するべきところをまるで他人事のような視線で捉えていたのだ。

 案の定、予想もしていなかった事態が警察官を襲う。両手に大きな荷物を持って、よろよろと階段を降りてきた男は一階に着くや否や、警察官目掛けて荷物を放り出し、走って逃げようとした。
 道路上に車両を待機させていたので、男は隣地の垣根を飛び越えようとして走り去ろうとするところを、俺が後ろから体当たりしてよろけたところを捕らえようとして衣服を掴んでしまった。
 追いかけるときは相手を突き飛ばして転倒させるのが良いと言って置きながら、俺は不覚にも衣服を掴んで引き戻そうとしてしまった。
 結果、俺とその男は縺れ合いながら地面に転倒していた。双方ともに怪我はなかったが、その日指揮官であった俺は、スーツにかぎ裂きを作ってしまっていた。
 逃走を許した警察官はその日が初めての合同摘発で、配属されて間もない者であったから、強く指摘するようなことはしなかったが、警察署に戻ってから上司に長々と説教されていた。
 慣れていなかったことから漫然と連行しようとし、予想外の被摘発者の逃走行為に出会った警察官には、何故、そのようなことが初めての経験になるのだろうかと同情を禁じ得ないが、きっと、彼はその後良い警察官になると思っている。
 逆に慣れている警備官が、狎れてしまった挙句に同様のことが起きない為の良い教材となったと思っている。

 これまで話してきたことは殆んど逃走事故に関することであったが、それくらいに身柄の確保が摘発での重要事項であるというように理解して貰いたい。
 摘発した男の身柄の連行時において逃走される危険性のことばかり話したが、女の身柄を対象にした摘発時でも同様の事故は起きうるのである。
 泥田に囲まれた飲食店舗の摘発時には、泥まみれのタイ人ホステスを暗闇の中から探し出し、再び店内において着替えさせて車両に誘導したが、何度、摘発を諦めようと思ったか知れない。
 彼女たちは着替えができるが、俺たちは暴れる女から擦り付けられた泥を落とすこともできずにそのまま帰庁しなければならなかった。
 組んず解れつを喜ぶ者もいたのかも知れないが、特殊な状況下であれば格別、大人しい様子の女の容疑者に対して男の入国警備官が扱うのは、周囲の目を意識しなければならないことからも注意を要するし、連行の仕方には一考を要する。
 女性の入国警備官が一対一で連行に対応できるだけの数がいれば良いが、そうでない場合には周囲を囲む形での連行が基本とならざるを得ない。

 二人で多人数を連行する場合に俺がとった方法は、先を行く警備官は先頭の容疑者に振り向けば触れられるくらいの距離を置いて、ゆったりと歩きながら、一本道ならばそのまま行くが、枝分かれする道の場合はその道を塞ぐように誘導しながら進んで行く、だから先頭の真ん中を漫然と歩くのでなく、右に左にと身体を移動しながら後方に注意を払って進むのだ。
 後ろについてゆく警備官は、半歩でその先を行く容疑者に触れることができる距離を保ちながら、視線は一番先頭の容疑者に置く、こうすることで全体の様子を見ることができるだけではなく、異変を感じた場合に先頭を行く警備官にいち早く通知することできることで、前後から制圧する体制が取れる。
 また、枝分かれしている通路の要所要所に警備官や警察官を配置して、そこに容疑者を誘導して進ませるといった方法もある。
 これだと摘発した身柄の数の半分以下の警備官や警察官でも、比較的安全に連行を成し遂げられた。
 但し、このような連行方法を取った場合には、それぞれの警備官、警察官には全体を見ることが要求されていることを忘れてはならない。

 また、連行時や移動時に当たっては身体検査が欠かせない。収容令書を執行して収容場に入所させるときにも身体検査が行われるが、そのときの検査でも見逃しがあって、禁制品を持ち込まれることがあるくらいだから、令書を執行していない身柄の身体検査はより簡単なものとならざるを得ない。
 簡単なものであれば尚更のこと、触手検査時に相手の様子をじっくりと看視する必要がある。
きょろきょろと落ち着きなく目線を動かしてはいないか、誰かと視線を交わして合図してはいないか、こちらの様子を窺うような気配はないか、また、梃子でも動かないといった様子を見せてはいないか、そうして看視することで摘発した個々人の特性を見ることもできるし、不測の事態が起こることを事前に感知することもできるのである。
こうして得られた個人の性格や行動に関する情報は、この後に続く違反調査時の対人調査にも有効なものとなる。

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